ビジネスに役に立つかわからない「アートにかぶれる上司」に困惑 美的感覚は超一級でもビジネスリーダーとしてはどうなの?
「最初は乳母にべったり。妻には無視され、部下もいうことを聞かなかった。息子にまで愛人を取られたヘタレ」と見られがちな義政ですが、ある意味、腹が据わっていたとはいえるかもしれません。 義政にも気の毒なところがあって、この人のお父さん、第6代将軍の義教(この人についてはいずれ「ささいなことで腹を立て部下を〈物理的に〉首にする上司は嫌だ」の回でふれることになるかもしれません)は恐怖政治を行い、最後は宴会の席で暗殺されてしまった。この事件で、足利将軍の権威は地に落ちていました。 義政がどうにかしようとしても、どうにもならなかったという事情はあったでしょう。しかしたとえば源頼朝に「日本第一の大天狗」と呼ばれた後白河法皇は、自分自身は軍事力を持たずとも、あっちに肩入れ、こっちに肩入れして、政局を操作した。 歴史にコミットしていったわけです。義政も、本当にやる気があったのなら、もっと状況にコミットすることはできたのではないでしょうか。 もっとも「応仁の乱」は、貴族たちが京都から地方に避難し、それによって地方に文化が拡散した。底上げされることになるという思わぬ作用もありました。
アートをめでるのはあくまで“余暇”にして
そうした義政が「もう仕事はしない。思う存分趣味に打ち込むぞ」という感じで、男子のロマン全開でつくった場所が銀閣寺でした。 この義政の生涯を見ていると、美的センスは、実社会で役に立つとは思えないのです。
「いや、でも、それは足利義政のたった一例だけでしょ」と思われるかもしれません。 確かに、たとえば茶の湯の巨人でありながら、優れたビジネスパーソンでもあった千利休がいますし、織田信長も豊臣秀吉も、政治家、武将であると同時に美的センスにも秀でた人たちでした。 しかしこれらの人々はもともと実業の能力があったわけで、別にアートの力でそれを磨いたわけではないような気がします。 それに、なんと言っても、義政は日本最強レベルでアートを見る目があった人物です。ドナルド・キーンさんも「日本史上、義政以上に日本人の美意識の形成に大きな影響を与えた人物はいない」とまで言っています。 この人をして政治能力がなかったのなら、やはり実業と芸術の世界で求められる能力は別々。違うものなのではないか。 アートを愛でるのなら、ノンフィクションにふれたほうが、よほど直接ビジネスに役立つような気がします。 そもそも、なんでいつも「経営者はなぜアートを愛するのか」みたいな話のときに出てくるのは、造形美術ばかりなのか(※個人の感想です)。音楽や観劇の話はあまり出てこないぞ、と思うところです。 いや、もちろん趣味でアートを楽しむのはなにも悪い話ではないのですが、食い合わせは違う。「ビジネスのために」とかではなく、義政のようにあくまで余暇のリラックスタイムとしてアートを愛でるのがいいのでは。どうもそう感じられてなりません。