無名ボクサーが中国英雄を倒した!日本史上最大の番狂わせはなぜ起きたのか
11ラウンド。 木村も有吉会長も「ポイントでは負けていることはわかっていた」という。 実際、のちのここまでのスコアシートを見ると、2者が「96-94」「97-93」で王者を支持。一人が「94-94」のドローだった。 「あと6分間、人生を変えてこい!」 有吉会長にそうハッパをかけられコーナーを飛び出た木村は勝負をかけた。パンチを振り回し追いかける。ゾウ・シミンがクリンチに逃げようとしても、ふりほどき、手を止めない。タイの「コインジム」で行った合宿で、王者のクリンチを想定して、ムエタイ仕込みのクリンチをふりほどく術を会得してきた。 執拗に前へ前へ。そして、ついにつかまえた。ここまで真っ直ぐ追い、消耗させた作戦が効いていたのである。足の止まった王者に左右のボディから右ストレートがヒット。ロープを背負わせた。 「無意識で手が出た。ハードな練習をしてきたからだと思う。あそこで、初めて拳が痛いと思うほどパンチが当たった感触があった。気持ちの勝負だと思った」 人生をかけた連打。ゾウ・シミンは、ついに崩れるようにして倒れた。 コーナーにいた有吉会長は、その連打のシーンを「夢を見ているようだ」と思ったという。 「ずっと思い描いていた追い詰め方を木村がやった。不思議ですが、まるでどこかで一度見たシーン。夢というかデジャブを見ているようだったんです」 ダウンした王者は、泣いていたという。 ゾウ・シミンは、一度では立ち上がることができず、レフェリーのダメージチェックにも満足に応じることはできなかったためTKOが宣言された。 木村は両手を挙げて、リングにうつぶせになって倒れこんだ。有吉会長も一緒になって倒れこんで喜びを表現した。資金力に乏しく募金まで募った弱小ジムが史上最大の番狂わせを成し遂げた瞬間だった。 日本のボクサーの海外での世界王座奪取は、JBC公認試合では、1981年に三原正が米国で奪取して以来、36年ぶりの快挙だ。 試合後、ゾウ・シミンはマイクを持って、長々と演説をぶった。 その中で「木村はわざわざ日本から来て戦ってくれた。敬意を表して皆さん拍手を送ってやって欲しい」と満員のファンに呼びかけてくれたという。 「さすが国民的英雄でした。中国で何もいやな思いはしなかった。チャンスをくれたことに感謝したい」 木村は、負けた後の王者の姿に感動を覚えた。ただ、ゾウ・シミン夫妻のマイクパフォーマンスが延々つづいたため試合後の勝者の記者会見は中止になったそうだが。