孫正義がカチン「何を考えとんのか、お前は!」→弟に伝授した「不思議な割り算」がめっちゃ参考になる
孫正義の祖父たちは、小さな漁船に乗って韓国から佐賀県鳥栖に渡ってきた。初めに住んだのは、国鉄の所有地に勝手にトタン板で建てたバラック。国鉄の職員に度々焼き払われたが、その度に建て直す。やがて国鉄も諦めた。踏まれても蹴られても生きてきた逞しさを、孫は誇りにしている。30代の孫が弟に伝えたこととは……。※本稿は、井上篤夫『志高く 孫正義正伝 決定版』(実業之日本社文庫)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 孫は受験に失敗した弟を 「負け癖がつくぞ」と叱責 孫正義という人物を語るとき、絶対に見逃してはならないのは家族愛だろう。 父、三憲が遠い祖先の出自を誇りにしていたように、家族に対する誇りが正義にもある。父母を敬い、兄弟姉妹を慈しみ、朋友を信頼し、わが子を愛する。人間として当然の思いであった。 孫は多くの日本の若者から共感を得ているが、精神を忘れて生き方のみを真似ても無益だろう。 孫からもっとも影響を受けた人物がいる。 15歳年下の弟、泰蔵である。 孫は男ばかりの四人兄弟だが、とりわけ歳の離れた泰蔵をかわいがった。兄として、ときには父のような厳しさで接した。ちなみに、この泰蔵の名も孫が命名した。当時、財界で尊敬を集めていた東芝会長の石坂泰三にあやかろうとしたが、四男なので三とつけるのはおかしい。そこで、蔵を建てるという願いを込めて泰蔵とした。 1991年4月、泰蔵は東大合格をめざして駿台予備校に通いはじめた。 兄と同じ名門、久留米大附設高校で学び、優秀な成績で卒業したが、受験に失敗。その後好きなジャズのバンドを結成し、地元福岡で気楽な浪人生活を送っていたが、二浪してひどく不安に襲われ、上京して予備校に通った。
兄正義に相談すると、厳しい口調で叱られた。 「このままだと人生に失敗したという思いが離れなくなる。負け癖がつくぞ」 泰蔵がかろうじてすがりついていた小さなプライドは、ずたずたに切り裂かれた。が、兄に似て負けん気の強い泰蔵は、このときから必死になって受験勉強の計画を立てた。 ● 「足し算ではなく割り算」 孫独自の計画表の作り方 泰蔵は自信を持って計画表を兄に見せた。ところが、またしても叱責された。 「何を考えとんのか、おまえは」 兄は弟に、なぜこの計画表ではいけないのかを説明した。計画は足し算ではなく、ユニークな割り算でなければならない。 まず、1年間という期間を考える。その際、1年を12ヵ月で割ってはいけない。どんな綿密な計画を立てようと、かならず計画どおりにいくとは限らない。兄は1年の365日を12ではなく14で割ることを泰蔵に教えた。 そして、本来なら1ヵ月かかることを、1年間の14分の1、すなわち26日間で終わらせろというのだ。すると1ヵ月に4~5日、1週間に1日の予備日ができる。 そこに精神的な余裕が生まれ、仕事の能率も上がる。