『わたしリセット』著者、田嶋陽子さんインタビュー。「母親っていうのは男社会の代弁者だった」
「母親っていうのは男社会の代弁者だった」
フェミニズム。今でこそ一般的に語られるが、30余年前は〝煙たがられる〟ような言葉だった。そんな時代のテレビ番組に突如登場し、女性が置かれた不平等について議論していた田嶋陽子さん。 本書では、〈戦場だった〉というテレビに出始めのころのエピソードから始まり、母親との葛藤と和解、そして軽井沢と東京のシニアハウスの二拠点暮らしから見えてきた死への向き合い方まで、今の彼女のありのままが語られている。 「テレビ出演は精神的に参ることばかりでしたが、この世の中をよくしたいし、女性の扱われ方を二級市民から一級市民にしたいじゃないですか。だから出続けました」
田嶋さんの登場はセンセーショナルだった。こんなふうに女性差別を真っ向から批判する人はいなかったから。〈そのころは、男の人はほとんど全員が私のことが大嫌いでしたけど、女の人も半分くらいは私を嫌いだったと思います〉とはあるが、フェミニズムを田嶋さんから学び賛同した女性は少なくないし、世間への影響も大きい。 「そりゃあ男ばっかりだった昔に比べたら、どの分野も女性は増えています。専業主婦も今や3割いないから、7割の女性は働いている。ただ、彼女たちがそれぞれの分野で大事に扱われているか、給料は男と同じか、いろいろ調べると、残念な数字が出てきます」 もう一つ、女性の活躍の障壁になっていたのは母親の存在。実は田嶋さん自身が母親から「勉強をして自立しなさい」と「女らしくしてお嫁に行きなさい」のダブルスタンダードを強いられてきたことが本書には記されている。 「〝お母さん〟って自分の人生を生きることを許されていなかったのよ、うちの母親のようにね。だから輝く娘を見ると嫉妬したり、自身の人生を寂しく感じたりする」
50歳、60歳ならもう1回新しい人生を生きられる。
だけど母親っていうのは男社会の代弁者なんだよね、と田嶋さん。 「母になったら、世間が気に入る子に育てあげないといけなかった。その世間は何かといえば、男社会。男の価値観で成り立っているから、それに合うような娘を育てないといけない。娘が男子よりできるとお母さんが批判されるので、気持ちは非常に複雑だったと思います」 恋愛体験を経て46歳で母親と確執が解けた田嶋さん。〈私は、それまで女の人のことが嫌いでした。女である自分自身のことが嫌いだったからです。でも、母と和解してからは、女の人に嫌悪感を抱くようなことはなくなりました〉 タイトルの「わたしリセット」は、自分の人生を生きてほしいという気持ちも込められている。 「クロワッサン読者は50歳? 60歳? 折り返し地点ですね。あと1回新しい人生が生きられる。みんなもう知識や基本があってその上で勉強するわけだから、資格だって早く取れるよ、勇気さえあれば。50、60は希望の年。いいねえ」 そう語る田嶋さんの瞳こそ、希望と勇気に満ちて輝いていた。