オウム元幹部6人の死刑執行、上川法相が会見(全文1) 極めて凶悪重大な犯罪
上川陽子法務相は26日午前11時5分から記者会見を開いた。 法務省は同日、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定していた6人の教団元幹部の死刑を執行した。オウム事件をめぐっては、今月6日に元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら7人の執行がなされており、死刑が確定していた13人全員の死刑が執行されたことになる。 ※【**** 00:35:30】などと記した部分は、判別できなかった箇所ですので、ご了承ください。タイムレコードは「【中継録画】オウム元幹部6人の死刑執行 上川法相が記者会見 」に対応しております。
6名の死刑を執行
司会:ただ今から臨時記者会見を行います。初めに大臣からお願いします。 上川:本日、6名の死刑を執行しました。裁判の確定順で名前を申し上げますと、旧姓岡崎、宮前一明、横山真人、端本悟、旧姓林、小池泰男、豊田亨、広瀬健一の6名です。犯罪事実の概要等につきましては、別途お配りした資料のとおりです。関わった事件はそれぞれ異なりますが、これらの犯行において、オウム真理教に所属し幹部として活動するなどしていた岡崎、横山、端本、林、豊田、広瀬の6名は教団の教祖であった麻原彰晃こと松本智津夫の下、他の教団幹部らと共謀するなどして、それぞれの立場で与えられた役割を担いつつ、犯行に及びました。 6名についてそれぞれ関与した事件の概要も含めて申し上げます。岡崎は昭和61年に教団に出家して、出版部門の営業責任者などをするとともに、信徒の中で2番目の解脱者として扱われ、教団の幹部の地位にいました。岡崎は松本の指示の下、他の教団幹部らと共謀して、平成元年2月上旬ごろ、教団からの脱会の意思を表明していた信者を、頸部にロープを巻いて締め付けるなどして殺害し、また平成元年11月、教団の被害者の会を支援する弁護士のほか、その弁護士の妻や1歳2カ月の子供までをも頸部を締め付けるなどして殺害しました。弁護士一家殺害事件です。 横山は平成元年に教団に出家して、教団における国の行政組織を模倣した象徴性の下では、科学技術省において次官として活動していました。そして横山は松本の指示の下、他の教団幹部らと共謀して、平成6年6月下旬ごろから平成7年3月ごろまでの間にロシア製自動小銃を模倣した自動小銃、約1000丁を製造しようと企て、部品多数を製作するなどしたほか、平成6年12月ごろから平成7年1月までの間に小銃1丁を製造し、また平成7年3月、間近に迫った教団に対する強制捜査を阻止するため、東京都心部を大混乱に陥れようと企て、地下鉄、電車内等にサリンを発散させることとし、指揮、総合調整、サリン製造、サリンの発散、運転手といった綿密な役割分担をし、組織的、計画的に犯行に及ぶ中で、本人はサリンの発散という役割を担い、12名の乗客や駅員を殺害し、また14名にサリン中毒症の障害を負わせました。地下鉄サリン事件です。 端本については昭和63年に教団に出家し、松本の身辺警護を担当するなどしていました。そして端本は松本の指示の下、他の教団幹部らと共謀して、平成元年11月、弁護士一家殺害事件に及び、弁護士のほか、その弁護士の妻や1歳2カ月の子供までをも頸部を締め付けるなどして殺害しました。弁護士一家殺害事件です。また平成5年11月ごろから平成6年12月下旬ごろまでの間に、化学兵器であるサリンを生成し、これを発散させて不特定多数の者を殺害する目的で、教団施設においてサリンプラントをほぼ完成させ、作動させるなどして、サリンの生成を企て、また平成6年6月、敵対視していた裁判官の宿舎を標的として、サリンを発散させ、付近の住民である7名を殺害し、また4名にサリン中毒症の障害を負わせました。松本サリン事件です。 林については昭和63年に教団に出家し、教団の科学技術省において次官として活動していました。林は松本サリン事件においてサリンを発散させるための車両の製造等を担当して幇助し、松本の指示の下、他の教団幹部らと共謀して、平成7年3月、先に申し上げたとおり、組織的、計画的に地下鉄サリン事件に及ぶ中で、本人はサリンの発散という役割を担い、12名の乗客や駅員を殺害し、また14名にサリン中毒症の障害を負わせました。地下鉄サリン事件です。また平成7年5月、他の教団幹部らと共謀して、警察の捜査を攪乱し、松本の逮捕を阻止するため、繁華街の公衆便所内に青酸ガス発生装置を仕掛けて、青酸ガスによりその利用者等を殺害しようと企て、新宿駅の公衆便所に青酸ガスの発生装置を設置しましたが、青酸ガスを発生させるには至りませんでした。新宿青酸ガス事件です。 豊田については平成4年に教団に出家し、機械製造の作業に関与し、教団の科学技術省において次官として活動していました。そして豊田は松本の指示の下、他の教団幹部らと共謀して、平成6年6月下旬ごろから平成7年3月ごろまでの間に、ロシア製自動小銃を模倣した自動小銃約1000丁を製造しようと企て、部品多数を製作するなどし、また平成7年3月、先に申し上げたとおり、組織的、計画的に地下鉄サリン事件に及ぶ中で、本人はサリンの発散という役割を担い、12名の乗客や駅員を殺害し、また14名にサリン中毒症の障害を負わせました。地下鉄サリン事件です。また、他の教団幹部らと共謀して平成7年5月新宿青酸ガス事件に及び、また平成7年5月、警察の捜査を攪乱し松本の逮捕を阻止するため、東京都知事等を殺害しようとして手製爆発物1個を製造し、これを都知事宛に送付して爆発させ、都知事宛ての郵便物の仕分け担当者に傷害を負わせました。 広瀬は平成元年に教団に出家し、物理学の知識を生かした作業に関与し、科学技術省において次官として活動していました。そして広瀬は松本の指示の下、他の教団幹部らと共謀して、平成6年6月下旬ごろから平成7年3月ごろまでの間に、ロシア製自動小銃を模倣した自動小銃約1000丁を製造しようと企て、部品多数を製作するなどし、平成6年12月ごろから平成7年1月までの間に小銃1丁を製造し、また平成7年3月、先に申し上げたとおり、組織的、計画的に地下鉄サリン事件に及ぶ中で、本人はサリンの発散という役割を担い、12名の乗客や駅員を殺害し、また14名にサリン中毒症の障害を負わせました。地下鉄サリン事件です。