伊那谷楽園紀行(5)シアトルにもフィジーにもなかった伊那谷の風景
やがて、高速道路を降りたバスは、上伊那の中心地である伊那市の市街地へと向かう。インターチェンジの周囲に広がるのは、どこにでもありそうなロードサイドの店舗群。駐車場の広いコンビニ。ラーメン屋に牛丼屋にと続く、どこにでもありそうな店構え。 でも、インターチェンジから延びる県道を左にまがり、伊那北駅が見える頃あたりから、街の顔は、まったく違うものになっていく。両側に見えるのは、都会では撤去され、見ることも少なくなった歩道の上を包むようなアーケード。 そのアーケードから、少し目線を上げると、この街を初めて訪れる人も「おやっ」と気づくのが看板建築。多くの古い建物には、今も営業している店の屋号。あるいは、かつてそこで営まれていたであろう店の名残が残っている。今では「古き良き」とでも枕詞をつけたくなりがちなアーケード。でも、真の「古き良き」を見ようとすれば、アーケードも邪魔者。ぼくは、そんな歴史の地層に様々なドラマを想像できる人と知り合いたいと、いつも望んで止まないのだ。 やがて到着するのは、伊那バスターミナル。バスはまだ先までいくのだけれども、ここが伊那谷の『終着駅』なのだと思っている。鉄道は太平洋側の豊橋から繋がる飯田線がある。 けれども、特急も急行電車もなくなった鉄道は、ほぼ谷の中の人々が移動するための路線。東京からここへ来ようと思ったら、特急あずさから乗り換えて4時間あまり。かたや、バスは乗り換えすることもなく3時間半。鉄道に乗ることを楽しむ旅でなければ、自ずと選択肢はバスになる。 だから、伊那バスターミナルは、いつも出会いと別れの場。春頃から建て替え工事をしていたバスターミナルがオープンしたのは、この旅の数日前。どういう都合なのか、これまで敷地の中まで乗り入れていたバスは、ターミナル前の道路に停車して客を降ろす。 僅かの間に、目では慣れていた寒さが、身体の隙間から忍び込んでくる。自然と足は目の前のバスターミナルへと吸い込まれる。 以前のバスターミナルは、今はバスタ新宿となったバスターミナルがそうであったのと同じく、古ぼけて雑然とした雰囲気があった。それが、新築になり、やはり新宿のそれと同じように、現代的なものへと変貌していた。でも、そこはありがちな新築とは、まったく違っていた。 昭和の頃に建築された建物が、建て替えられていく中で、ありがちなのは綺麗だけど、まったく落ち着くことのできない建物ができあがること。バスタ新宿は、まさにそれ。利用者からの要望でコンビニはできたものの、待合室らしきものは僅かな椅子だけ。どこか、乗客が仕分けされた荷物のように運ばれていく感覚を拭うことができない。