妻が孫のお祝いの席でいきなり退席。道長の躍進ささえた「源倫子」がキレた“夫の失言”
それは、寛弘5(1008)年11月に「五十日(いか)のお祝い」が執り行われたときのことである。 道長からすれば、娘の彰子と一条天皇との間に待望の世継ぎが生まれて、50日目のお祝いだ。可愛い孫の敦成親王にすりつぶした餅を食べさせながら、道長は上機嫌そのもの。思わず饒舌になって、こんなことを口走った。 「私は中宮の父にふさわしく、私の娘としても中宮は恥ずかしくない。妻もまた幸運に微笑んでいるようだ。いい夫を持ったなあ、と思っていることだろう」
道長からすれば、酒の席での戯れにすぎなかったことだろう。だが、この発言を聞くや否や、妻の倫子はその場から退席してしまう。異変を察した道長は、そのあとを慌てて追いかけたという。 なぜ、倫子はそんなに怒ったのか。理由は2つ考えられる。 一つは、彰子のめでたい出産に喜べなかった人々もいたということだ(記事「中宮彰子が皇子出産」喜ぶ道長と周囲の“温度差”」参照)。よく気がつく倫子だから、夫の言動に呆れて居たたまれなくなったのだろう。
だが、それと同時に、倫子が道長をいかに支えてきたかを考えると、「いい夫を持ったなあ」という道長の自画自賛が、たとえ冗談であったとしても、シンプルにムカついたのではないだろうか。「いい妻を持ったなあ」と、あなたは言うべきじゃないの、と。 ■息子の結婚に道長が実感を込めたひと言を 調子に乗って思わぬ失言をしてしまった道長だが、本心では妻のおかげで今の自分があるとわかっていたようだ。 『栄花物語』によると、道長と倫子の長男・藤原頼通が、天皇家ゆかりの隆姫女王と結婚することになると、道長は「おそれ多い」と恐縮しながら、こんな言葉を言ったという。
「男は妻がらなり」(男というものは、妻の家がらによって良くも悪くもなる) 倫子は万寿4(1027)年、自身が64歳の時に道長に先立たれるが、その後も子どもたちを支え続けて、天喜元(1053)年6月に人生を閉じる。長女の彰子以外の3人の娘にも先立たれながら、道長の妻・倫子は実に90歳の長寿をまっとうした。 【参考文献】 山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社) 『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)