《ブラジル》記者コラム「日本移民は世界のモデルケース」赤嶺大司教が聖母大聖堂で説く=今こそ役立つ分裂社会統合の経験
赤嶺大司教「嘆かわしい歴史を繰り返さぬよう」
正午から地下サロンで赤嶺大司教の言葉を聞く集会が開かれ、その場で同日から2年間のPANIB新執行部が発表された。赤嶺大司教は、「日本移民は農業、テクノロジー、教育、勤勉さなどをブラジルに広めた。ブラジルと日本の文化は大変かけ離れているにも関わらず、お互いに敬意をもって受け入れて学びあい、それぞれが豊かになった。世界が移民問題や人種差別、思想的分断による混迷状態にある中、ブラジルにおいて日本移民が見事に統合した姿は、世界に誇れるモデルケースである」と強く訴えた。 赤嶺大司教は1962年11月にサンパウロ州ガルサ市で沖縄県系3世として生まれた。沖縄文化について尋ねると「若いころに沖縄文化を学ぼうと試みたことはあったが、あまり成功しなかった」と苦笑いしつつも「でも豚肉料理は大好き」と笑顔を浮かべた。 1972年にパラナ州のライーニャ・ダ・パス神学校で学んで最初の叙階(聖職者への任命)を受け、サンパウロ州で助祭職、パラナ州カンベ市で司祭を務めた。その後、95年にローマのグレゴリアン大学で神学の修士号、05年に同大で組織神学の博士号を取得。聖パウロ・アポストロ教会管区(パロチーノ会派)の管区長を務めた。 11年、サンパウロ市大司教区が統括するラパ教会の補佐司教に日系人で初めて任命され、16年にサンパウロ州ソロカバ市の大司教に任命された。「昨年、大司教として初めてバチカン会議に招集された」とも述べた。 赤嶺大司教に、第2次大戦に関わる連邦政府からの日本移民迫害への謝罪に関してのコメントを尋ねると、「まさに嘆かわしい歴史だと思う。我々はその事実から学ばないといけない。ただ単に嘆いたり、プロテストしたり、反抗していていても始まらない。我々は歴史から学んで、それを繰り返さないようにしなければならない。このような残念で困難な出来事に直面したにも関わらず、日本移民はブラジルのために大きな貢献をした。二つの文化は大きな差異を持つがゆえに、歴史のある時期ではぶつかり合うこともあったが、それを乗り越えたことは重要だ」と強調した。 さらに、大戦中は日本人団体の活動ができなかったにも関わらず、敵性国人として警察に収監された邦人指導者らに、ドナ・マルガリーダ渡辺らサンパウロ市カトリック日本人救済会が差し入れをする活動ができたのは、ドン・ジョゼ・ガスパール大司教が庇護してくれたからだった。詳細は本紙3月19日付記者コラム《憩の園に生涯捧げた吉安園子さん=大戦中に邦人保護した救済会》(https://www.brasilnippou.com/2024/240319-column.html)。 そのようなバルガス独裁政権に日本移民が最大の困難に直面した大戦中において、カトリック教会やドナ・マルガリーダが果たした役割について質問すると、「カトリック信仰は日本移民がブラジル社会に統合される際の重要な触媒の役割を果たした。そのような役割は日本移民だけではなく、ドイツ移民、イタリア移民、(イスラム教徒が多い)シリア・レバノン移民らアラブ系などがブラジル社会に統合される際にも同様の役割を果たした」と述べた。