「日本の和歌」と「古代ギリシャの詩歌」の「意外な共通点」…世界の見え方を「一変させる」驚きの力
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。 安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第18回)。 前の記事『「日本の和歌」の技術に隠された「魔術性」をご存知ですか…? 言葉にやどる「不思議な力」の正体霊が宿り魔法の力』では、和歌や能の「枕詞」という技法がもつ「魔術性」について解説しました。 以下では、ギリシャの枕詞も、日本のそれと似た特徴をもつことを紹介します。
ギリシャの「《翼ある》言葉」
古代ギリシャの枕詞はエピテトン(:形容語句)と呼ばれます。特にホメーロス作と伝えられている古代叙事詩である『イーリアス』や『オデュッセイア』などでよく使われます。 「《足速き》アキレス」や「《賢明な》オデュッセウス」、あるいは「《白い腕の》ヘーレー」などのように、神々の性質をあらわすエピテトンがあります。また、「《洞なす》船」や「《翼ある》言葉」などのように一般名詞につくこともあります。 トロイの木馬を作ったオデュッセウスが「賢明」で、アキレスの「足が速い」というのはよくわかりますね。「《洞なす》船」も漢字の「舟」という字がまさにその形。昔、舟は木をくり貫いて作りました。 古典ギリシャ語を学んだときに「《翼ある》言葉というエピテトンは、ギリシャに行くとよくわかるよ」と言われました。空気が違って、本当に言葉に翼が生え飛んでいるようなのです。ですが日本の風土が観光旅行ではわからないように、ギリシャでその感覚を得るにはある程度の期間の滞在が必要でしょう。「《翼ある》言葉」、感じてみたいです。 エピテトンも「一定の語句の上に固定的に」付く定型句であり、そして完全に一対一対応ではないというところは枕詞に似ています。ただ、ギリシャ語は形容詞を名詞の後ろに付けるので、エピテトンも修飾される語の後ろに付くことも多い(前に付くものもある)のが枕詞と違うところですね。