「尹錫悦退陣」、その息詰まる膠着と破局のあいだ【寄稿】
[シン・ジヌクの視線]
韓国の政治状況が尋常でない。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領夫人キム・ゴンヒ女史のブランドバッグ受け取り論議や候補公認介入疑惑に続き、ミョン・テギュンという政治ブローカーが尹錫悦大統領夫妻を背後に選挙と国政に深く関与してきたという疑いが強まり、大統領の支持率は10%台に墜落した。大学教授らの時局宣言が続いており、大統領退陣を求める集会が加熱している。大統領が任期途中で退陣するほど重大な状況なのだろうか。そして、それは可能なのだろうか。 退陣の主張に同意するかどうかは、個人の主観的な判断によって異なるだろう。しかし、国民の多数が退陣を要求するのには明らかな理由がある。 その1、市民と言論の自由が崩れた。尹錫悦大統領はこれまで「自由」を数百回口にしてきたが、現実は反対だった。反対意見の市民たちの口をふさぎ、批判的な報道機関と記者たちを強制捜索し、放送掌握を執拗に試みた。今年の「国境なき記者団」の報道の自由度指数で、韓国は62位と評価された。アフリカの軍事独裁国家のガボンより下だ。驚くだろうか? 自由の剥奪が深刻な水準に達しているが、私たちはそれに慣れてしまっているのだ。 その2、大統領の独断で国政の合理性が崩れた。大統領は自分の意思と異なる国会の決定をすべて拒否権を行使することで無力化した。「捜査したからわかる」という大統領の指示ひと言で、その年の修学能力試験の問題が左右された。強圧的で一方的な政策の推進は、結局、国民の生命を脅かす医療騒乱を招くに至った。いま国民が恐れているのは大統領の力ではない。本当に恐ろしいのは、無能な大統領の独断で医療システムの崩壊や戦争勃発のような国家的惨禍が起きることだ。 その3、法の公正さが崩れた。尹大統領は法治と公正を掲げたが、実際は検察を私有化し、「法の支配」の代わりに「法を利用した支配」を確立した。かつての軍事政権が「スパイ」を捏造したとすれば、いまの検察政権は「罪人」を生産する。罪のない人を罪人にし、捜査・起訴を乱発して犯罪者のイメージを作り、政敵の罪だけを暴き出して権力の罪は隠蔽する、などの方式だ。ここで「有罪か、無罪か」は事案の本質ではない。反対者を「罪」のフレームにはめ込み、自分は「法の外に」置く大きな構造が本質だ。 その4、私人による支配で憲政秩序が崩れた。大統領の夫人とその知人たちが世論操作、公認介入、政府人事、国策事業、労働弾圧まで広範囲に介入していた情況が明らかになっている。国民が選出した代表性も、国家機関の公的権威もない純然たる私人が、国の実質的な主人であるということだ。このようなタイプの後見体制は、軍部や土豪勢力が実権を持つ退歩的な独裁国家にみられる。 その5、民主主義の基本である選挙の正当性に対する信頼が崩れた。ミョン・テギュン氏は大統領選挙の際、多数の操作された世論調査結果を当時の尹錫悦大統領候補に提供した疑いが持たれている。ミョン氏と大統領夫妻はまた、総選挙、地方選挙、「国民の力」の党内選挙の公認過程にも介入したという疑惑がある。もしもこの一部だけでも事実であることが判明したら、それが体制に与える衝撃は非常に大きいだろう。 以上の五角形をつなげてみると、民主主義、法治、ガバナンスの構造物が崩壊していることは明らかだ。どうすべきか。多くの人は、尹大統領がなんとか任期を全うし、国政を改善することを望んでいただろう。しかし、もはやこのまま続けるのは最悪に突き進むばかりだと多くの人が考えているようだ。 そのような状況で、辞任、弾劾、改憲を叫ぶ声が高まっている。その中で何が望ましく、実現可能なのかに対する悩みも深い。しかし、様々な条件を分析してみると、どれも現実的に容易ではない。 まず「辞任」は、尹大統領が反省して退くわけがないと多くの人が思っているが、それより重要なのは、辞任後に司法処理をしないということを保障できないという点だ。退けば刑務所行きになるかも知れないのに、対策なしに退く人がいるだろうか。 一方、「弾劾」も可能性は高くない。弾劾後の大統領選挙で野党「共に民主党」のイ・ジェミョン代表の当選の可能性が高い現時点で、与党「国民の力」が変わりそうにないためだ。たとえ訴追になったとしても、もし憲法裁判所で却下されれば、尹錫悦政権はさらに大きな正当性を持って暴走する恐れがある。 最後に「改憲」もやはり与野党が合意しなければならないが、大統領任期があと2年余りの状態で、任期短縮の意義があるくらい迅速に改憲後の政治制度の内容に合意することは難しい。1987年の「直接選挙制改憲」のスローガンのように、各政党の複雑な計算を超える大きな大義がないためだ。 結局、蓋然性の高いシナリオは、退屈な「膠着(こうちゃく)」の持続、または国民的公憤の爆発による「破局」だ。膠着とは、望ましくはないが出口がないため何も変わらない状態のことだ。与党は「イ・ジェミョン大統領」は最悪の代案なので現状維持を望み、イ・ジェミョン代表は相対的に支持率が高いが反対も大きく、民意は広がらない。このような状態で韓国社会のどの問題も解決されず、急変する世界にいかなる対応もできないまま何年も過ごすことになりうる。 まさにここに、国民の息詰まるようなもどかしさがあるはずだが、もしこのように怒りが蓄積され、なんらかの触発事件によって点火されたら、誰もそれを防ぐことはできないだろう。だがそれは破局の出発になりうる。辞任、弾劾、改憲がすべて閉ざされた状態で、政権が強圧を動員し、右翼勢力が一斉に塹壕から上がってくるなら、韓国社会は大きな対立と混沌に陥りかねない。 そのようなシナリオを避け、「秩序ある変化」を達成する道は非常に狭く思える。退陣後の権力を巡る「不確実なゲーム」が予想されたり、逆に「確実な代案」があるときにダイナミックな動きが開始するだろう。今のように「尹錫悦叩き」と「イ・ジェミョン叩き」で応戦しあうことでは状況は変わらない。反尹錫悦が大きくなっても反イ・ジェミョンのせいで限界があり、反イが大きくなっても反尹のせいで力を得られないからだ。 結局、現在の党派的力学の中では答えがないということだ。その限界を突破する力は巨大な国民の命令から出るはずだが、その噴出を止めているのはまさに「退陣後」に対する懐疑だ。国民たちは弾劾、ろうそく革命、その後の幻滅まで経験した。今度は変われるかを問うている。イ・ジェミョンを越え、民主党を越え、さらに大きな希望のシナリオを作り出さなければならない。そのときこそ行動が始まり、変化が開始される。 シン・ジヌク|中央大学社会学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)