発達障害の子どもを診察する医者が語る「薬物療法に対する本音」…多くの人が誤解している「薬物依存や副作用」
言葉が幼い、落ち着きがない、情緒が不安定。 育ちの遅れが見られる子に、どのように治療や養護を進めるか。 【写真】発達障害が治る子と治らない子、その違いはどこに…?発達障害にまつわる「嘘 講談社現代新書のロングセラー『発達障害の子どもたち』では、長年にわたって子どもと向き合ってきた第一人者がやさしく教え、発達障害にまつわる誤解と偏見を解いています。 本記事では、薬物の用い方についてくわしくみていきます。 ※本記事は杉山登志郎『発達障害の子どもたち』から抜粋・編集したものです。
薬物に対する態度
ここで解説を試みるのは薬物の用い方ではあるが、薬物療法に関する薬理学的な解説や発達障害児への使用に関するテキストとしての解説ではなく、どちらかというと非常に主観的な、いわゆる薬の使い方およびさじ加減とでも言うべき内容に関して、筆者の現在の考えを正直に伝えたい。 発達障害の子どもたちをたくさん診察している医者の側が、薬物療法というものをどのように考えているのかという内容は、薬物療法を受ける側の方々にも知っておいていただくのが良いと思う。 薬の使用は、なしで済めばそれがもっとも自然である。しかし明らかに薬を用いたほうが楽だと思えるのに用いないのはやはりまずいと思う。もちろん、薬だけですべてが解決するわけではない。 薬というものを非常に嫌う方が発達障害の子どもたちのご両親の中にも存在するが、その大半は薬物というものに対する一種の過大評価から来ているのではないか。薬があまりに劇的に効いた場合は、むしろプラセボー効果(偽薬効果)を考えるべきである。 児童精神科領域で用いられる薬はその大半が長期にわたって連続して用いられる薬である。たとえば統合失調症の治療薬として作られた抗精神病薬も、うつ病の治療薬である抗うつ薬も、てんかんの治療薬である抗てんかん薬も、長い期間続けて飲むことを前提としている。抗生剤や抗ガン剤のように、目的とする細菌や細胞を叩いて叩き終わったらおしまいという用い方をする薬ではない。長年にわたり服薬を続けるのが基本的な用い方である分、安全には作られていることをまず強調したい。 もちろん副作用のない薬はない。だが、薬を用いたくないという場合にしばしば聞くのは次のような例である。「学校(保育園)の先生が薬物は使わないほうが良いと言った」あるいは「父親が薬は使いたくないと反対している」。こういった理由が挙げられることは少なくないのだが、前者は子どもの養育に一時的な責任しか持たない人の発言であり、後者は長い時間子どもとは接していない側の発言である。医者により多少の傾向はあるが、無意味に薬物療法を勧めるわけではないので、このような意見に対して、信念や感情論での薬物拒否は好ましくないことをおおむね説明をする。 この折にしばしば感じるのは、このような発言をされる方が、保護者を含め、子どもの側の大変さというものを本当に理解した上で言っているのかどうかという疑問である。特に自閉症グループの子どもは、『発達障害の子どもたち』でいくらか触れたように、けっこう大変な体験世界に生きている。 薬物療法を勧める際に、もっとも頻度が高い状況とは、本人の起こす問題行動と周囲の側の拒否反応による悪循環が起き始めている場合である。発達障害の子どもたちに接する者は必ず、彼らがどのような体験世界にいるのか、多少なりとも理解してほしいと思うのはこんなときである。同じことは学校の選択の際にも感じるのであるが、これについてはすでに述べた。 もう一つよくある誤解は、薬の依存性についてである。たしかに、多動に用いるメチルフェニデートと抗不安薬と呼ばれる不安や不眠に用いられる薬は、依存性が高い。しかしもっとも使用頻度が高い抗精神病薬と抗うつ薬は依存性に関してはまったくといってよいほどない薬である。またこの二つは飲み心地がけっして良い薬ではない。依存性が見られないのは、この飲み心地の悪さが大いに関係しているのではないかと思う。