大坂夏の陣・幸村奉納の軍旗公開 平野区の志紀長吉神社
社宝として伝わる真田幸村奉納軍旗が特別公開 THE PAGE大阪
大阪市平野区の志紀長吉神社でこのほど、社宝として伝わる真田幸村奉納軍旗が特別公開され、全国から幸村ファンが訪れた。大坂夏の陣で豊臣方を代表する武将だった幸村。徳川家康相手に猛攻を加えて戦死する前日に奉納した軍旗だけに、生々しい迫力がある。
最後の一戦へ「どうか力を与えたまえ」
この軍旗は長さ約2.4メートル、幅約30センチ。社宝であるため原則非公開で、正月2日間と5月の幸村公戦勝祈願祭開催時のみ、無料で特別公開されている。 真田家の家紋である六文銭を染め抜く。全体が薄茶色にくすんでいるが、奉納時は「真田の赤備え」と呼ばれた鮮やかな朱色だったとみられる。大きな破損部分は戦闘で焼かれ、小さな穴は火縄銃の貫通したあとだ。 今から400年前の大坂夏の陣。幸村は5月6日、道明寺・誉田(こんだ)の合戦で、徳川方伊達勢と激闘を繰り広げたが、大坂城の本隊から救援要請が届く。やむなく戻る途上で、当神社へ立ち寄り、兵士たちに束の間の休息を与えた。 幸村自身、馬から降りて参拝し、軍旗を奉納して戦勝祈願を行う。当時の幸村の心境を、鈴木理美(まさよし)宮司は次のように推察する。 「すでに戦況が不利なことは分かっており、もはや活路を開くには、徳川家康の本陣へ突入するしかないと覚悟を決めたのではないか。軍旗をお預けしますので、どうかお力をお貸しくださいと祈ることで、最後の一戦に向けて、自らを奮い立たせたことでしょう」
幸村軍旗から全力を尽くす大切さを学ぶ
幸村が軍旗を奉納すると、不思議なことが起きる。突然霧が立ちこめ、真田勢を包み込んで進軍を助け、真田勢は伊達勢の追撃を振り払うことができた。 翌7日、豊臣方は敗北し、豊臣家も滅亡。しかし、幸村の勇猛果敢さは、宿敵である徳川勢に「日本一の兵(つわもの)」と言わしめるほど、天下にとどろいだ。 六文銭は三途の川の渡り賃とされ、真田家の六文銭の家紋は、退路を断った決死の覚悟の現れ。幸村の軍旗から今、何を学べるのだろうか。 「現代人は全力を尽くす大切さを忘れがちではないか。覚悟を決めると、むしろ気持ちが楽になる。自分なりの方法で、少しでも社会のために役立つことを目指してほしい」(鈴木宮司)