内藤尚行・川崎憲次郎の深掘りトーク! お題「戸田寮の青春時代」【平成ドロップ・ヤクルト編】
バナナブリザード?
内藤さんへウワサのシャレードが贈呈
1990年代、黄金時代を築いたヤクルト。実力とともに話題になったのが明るさだった。内藤尚行さん、川崎憲次郎さんでお送りしている『平成ドロップ!』ヤクルト編。第2回のテーマは「戸田寮の青春時代」だ。 構成=井口英規 ──前回は、ヤクルトの優勝もあってマジメバーションでお願いしましたが、ここからはリミッターを外して(笑)、自由にお願いします。2人はどちらも高卒入団で内藤さんが2年先輩ですが、まず、2人の出会いから教えてください。 内藤 出会いはハワイです。 川崎 ワッハハハ。 内藤 ハハハハハ。 ──何ですか、この大爆笑は?(笑。※このあとも2人の大爆笑タイムがあったが、頻繁かつ一部意味不明? もあり、ほぼカットしています)。 内藤 当時(1989年)のヤクルトはハワイ(マウイ島)で春季キャンプがあって、憲次郎はドラフト1位のゴールデンルーキーとして入ってきたんです。ドラフト2位の岡(岡幸俊)と一緒にね。 川崎 高校の行事もあったんで、遅れて入ったんですね。2月10日くらいかな。 内藤 そのとき僕の後輩に忰田(忰田幸也。88年入団)っているんですけど、「あいつら入ってきたらもうボコボコですよ!」って言ってた(笑)。 川崎 ハハハ、マジですか。忰田さんのキャラとは違う気がしますが。 内藤 でも、見た途端、勝てないと思ったのか、そのときだけだったけどね。もともと忰田はそういうタイプでもないし。あのとき、憲次郎は岡と新人同士の2人部屋だったよな。 川崎 はい、そうでした。 内藤 当時、ヤクルトの伝統は先輩後輩の部屋長、部屋子の2人部屋だったんですけど、これも期待の男だからでしょう。それで普通なら憲次郎と岡が先輩の部屋回りをしてあいさつをすると思うんですけど、しないし(笑)、これは緊張しているからだなと思って、僕と忰田で「おい!」と部屋に行ったのが確か最初の出会いです。なんかあげなきゃと思ってソックス2、3足持っていったと思いますよ。もちろん、新品ね(笑)。 川崎 それは覚えてないな。 内藤 そのあと、アイスクリーム屋に行ったのは覚えてる? 川崎 もちろんです。ハハハハ。 内藤 「ストロベリー」だったら「ストボール!」と、身振りもしながら大げさに言わないと通じないぞという話をしたよね。 川崎 ハハハ、そうでした。 ──そのとおりやったんですか。 川崎 もちろん! でかい声で勢いよくいきました(笑)。実際、「ストロベリー」じゃ通じなかったんですけど、言われたとおりやったら通じたんですよ。「バナナブリザード」もね。 内藤 そう、「バナナブリザード!」(※もしかしたらバナナジェラード?)。発音は適当でも大きな声で堂々と言うと通じるんですよ。「ウオーター」も「ワーラー!」だし、すべて大げさに言えってね。でも、憲次郎は未成年だし、酒には誘わなかった。マウイのディスコがあって、そこで遊んでたヤツもいたけど。 川崎 でも、あのキャンプは、すごく緊張していて、あまり覚えてないんですよ。「バナナブリザード!」は強烈だったけど(笑)。それより練習で、ものすごく長い直線を走らされたことのほうが覚えてます。本球場の裏にだだっ広い広場があって、端から端まで200、300メートルなんですが、10往復って言われ、「マジかよ」と思いながら走ってました。あの年がハワイキャンプの最後ですよね。 内藤 そのあとユマだったからね。ユマは周りに何もなかったからな。 ──当時の関根(関根潤三)さんはどんな監督でしたか。 川崎 ある意味、怖い。笑いながら怒るんですよ。当時はコーチじゃなく、監督がマウンドに来たけど、打ち込まれたりすると、「お前さん、何をやっているんだい」って言って、顔は笑っているけど、足は蹴っ飛ばしてる(笑)。でも、テレビはたいていバストアップしか撮らないじゃないですか。よく「優しそうな監督でいいですね」って言われたけど、「顔は笑ってるけど、足は怖えよ」って(笑)。ほかのピッチャーも結構やられているんですよ。足踏まれたり(笑)。 内藤 俺は蹴られてはいないな。関根さんは・・・
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週刊ベースボール