ノーベル化学賞の吉野彰氏が会見(全文1)まさか、まさかの受賞
名城大学へのメッセージをお願いしたい
中日新聞:ごめんなさい、もう1点だけ。ちょっと別のことを聞いてしまうんですけど、今、名城大学のほうで教授になられていると思います。向こうにもたぶん吉報が届いたと思うんですけど、何かメッセージがあればお願いできますか。 吉野:実はまだ1年半ほど前なんですけど、本務は旭化成なんですが、兼務で名城大学の教授ということで、週1回なんですけれども講義を担当しております。ご存じのように、実は名城大学には赤崎先生というノーベル物理学賞を取られた先生がいらっしゃいます。そういったことで、名古屋の大学ではあるんですけれども、非常にアカデミア的にも非常に優れた大学だと思います。それから、学生さん、院生さんも非常に前向きといいますか、私の講義の中でもそういった雰囲気はひしひしと感じております。ですから、同じ名城大学で2人目が出たよというふうに受け取っていただければ私自身、非常にうれしいと思います。 司会:ありがとうございます。そうしましたら奥の、フクハラさん、2列後ろの一番端の手を上げてらっしゃる方。
開発段階で一番きつい時期は?
ニッポン放送:ニッポン放送の畑中と申します。こちらでございます。このたびはおめでとうございます。 司会:すみません、もう一度、挙手いただいてよろしいですか。 吉野:すみません。 ニッポン放送:こちらになります。ニッポン放送、畑中と申します。このたびはおめでとうございます。 吉野:ありがとうございます。 ニッポン放送:吉野先生はかねてから新規事業を立ち上げるときに、「悪魔の川」、「死の谷」、「ダーウィンの海」ってこういう3つのお言葉を話してらっしゃいました。どれも、リチウムイオンを開発されるときのご苦労されたかと思うんですが、最も深かったといいますか、それをちょっと教えていただきたいのと、今回の受賞で何かまた新たなステージといいますか、このような表現をするとしたらどういった言葉が思い浮かぶかちょっと教えていただけますか。 吉野:まず最初のご質問なんですけど、俗に、「悪魔の川」、「死の谷」、「ダーウィンの海」ですね、3つ。これは簡単に言いますと、基礎研究で大変苦労するよと。それから開発研究でまた苦労しますよと。製品を世の中に出してもすぐ売れませんよと、しばらく5年ぐらい売れない時期がありますよと、これが「悪魔の川」、「死の谷」、「ダーウィンの海」です。 そのうちの3つのうちのどれが一番きついかと言われますとやっぱり「ダーウィンの海」でしょうね。正直言いまして、約3年ぐらいありました。まったく売れない時期がですね。で、それがある日突然のごとく売れ出したのが1995年なんです。Windows 95の年ですね。まさにIT革命が始まったんです。ですから、そういうことさえ最初に分かっておれば、5年でも10年でも待てるんですけど、それはやっぱり精神的にも肉体的にも非常にきついですし、その時点では当然、研究費投資も相当膨らんでいますし、ましてや設備投資も始まっていますんで、真綿で首を締められるような苦しみじゃないでしょうか。 【書き起こし】ノーベル化学賞の吉野彰氏が会見 全文2に続く