なぜ日本で“空気を読めない人”は嫌われる? 背景にあった「自然災害と閉鎖的環境」
自然災害と閉鎖的環境が日本人の社会性を高めた?
日本人の社会性が高いのは「日本が島国だから」、という理由付けがしばしばなされます。簡単に納得しやすいものなのか、それ以上考えている人をあまり見たことがありません。 では、なぜ島国だと社会性が高く、自分の意見を吞み込むようになるのか? 同じ島国でも、イギリスはなぜそうではないのでしょうか? 日本独特の事情として、いくつか注目すべき点があります。まず、気候面の特徴です。降雨量が多く、台風も多く通過します。高温多湿なだけでなく、風水害のリスクが高いのです。これは私が言うまでもなく、特に近年、誰もが強く感じていることでしょう。 もう一つの特徴は、プレートの境界にあるために火山が多く、地震が多発する場所だということです。統計的に見ても、世界中で起こるマグニチュード6以上の大きな地震のうち、約2割は日本周辺で起きています(「平成 26年版防災白書」内閣府)。 これは、日本とイギリスとの大きな違いです。同じ島国でも、自然災害のリスクが高く、恒常的に防災を考えなければならない国とそうではない国とでは、生き残っていくことのできた人間や集団の性質が違うことはおわかりいただけるでしょう。 日本は数千年、数万年前から変わらず自然災害が多いのですから、そうした環境に適応できる、つまり長期的な予測をして準備を怠らない人たちが生き残ったと考えるのが自然です。集団として見れば、構成人員の多くの割合が、そうした環境に最適化された人々である可能性が高いわけです。集団を優先する性質も含め、それが日本という環境における最適化の一つの結果であるのかもしれません。 そして、長年の最適化を経て得られた日本人の平均的な応答からすると、例えば私のような者は外れ値であり、いわば「みにくいアヒルの子」として存在していると言えるかもしれません。つまり、今後何か大きな社会的あるいは環境的な変化があったときに備えるため、バッファとしての多様性の一要素であるという意味を持って存在しているのかもしれません。 ただ、平均的な値に近い人々から見ると、外れ値側にいる人々のことはなかなか理解できず、「あの人はなぜあんなに『バカ』なことをするのだろうか......」などと眉をひそめる、といったことが頻繁に起こります。これは非常に残念なことだと思います。 そして、圧倒的多数派である平均的な(マジョリティの)人々のなかでの「優秀なエリート(逆の視点からは優秀な愚か者)」が再生産され続けるのです。
中野信子(脳科学者)