生涯現役を貫いた“レジェンド”篠塚建次郎の訃報にミツビシ、ダカールラリー、WRCなどが追悼メッセージ
WRC世界ラリー選手権と“パリダカ”の名で知られたパリ・ダカールラリー(現ダカールラリー)で、ともに日本人初の総合優勝を達成した篠塚建次郎が2024年3月18日、すい臓がんのため亡くなった。齢75にして現役ラリードライバーであり続け、今季の計画が中止となったものの来季2025年のアフリカ・エコレース参戦に向けて準備を進めていたなかでの訃報だった。 【写真】1989年のWRCに参戦したミツビシ・ギャランVR-4(篠塚建次郎/ジョン・メドウズ組) 日本にパリダカの名を知らしめ、『PAJERO(パジェロ)』人気の火付け役となった篠塚の逝去を受け、同氏が1971年から2002年まで籍を置いた三菱自動車はSNSを通じ、次のように哀悼の意を表した。 「パリ・ダカールラリーでパジェロを駆って日本人初の総合優勝を果たすなど、国内外のモータースポーツ界に多大な功績を残されたラリードライバーの篠塚建次郎氏が逝去されました」 「当社のクルマでも沢山の名シーンを残してくださった篠塚氏のご冥福を謹んでお祈り申し上げます」 また、2003年から2005年にかけて、篠塚を擁してダカールラリーにワークス参戦したニッサンも【おくやみ】と題したメッセージを発信。「ラリードライバー・篠塚建次郎氏が75歳で逝去されました。日産では、2003年のダカールラリーをはじめ、2005年までの間に、さまざまなラリーへ参戦されました。謹んで故人のご冥福をお祈りいたします」と故人を偲んだ。 篠塚の訃報は海外にも即日伝わり、WRCとダカールラリー、さらにはタイヤメーカーのミシュランがこの悲しいニュースを共有し追悼文を掲載している。 WRCは公式サイト『WRC.com』にて「篠塚は日本のモータースポーツの先駆者であった」と氏の活躍を紹介。1991年のアイボリーコースト・ラリー(コートジボワール)でミツビシ・ギャランVR-4をドライブして優勝したこと、その12カ月後に行われた同大会でジョン・メドウズとのコンビでふたたび総合優勝を飾ったことを伝えるともに、シリーズが訃報に接し「悲しみに暮れている」と綴った。 なお、2024年現在までWRCで総合優勝を果たした日本人は篠塚ただひとりだ。 現在はサウジアラビアで行われているダカールラリーも、篠塚の逝去を受け「ダカール・ファミリーが大きな悲しみに包まれている」とのメッセージを寄せた。 声明は次のように続く。「ミツビシ・パジェロのステアリングを握り、1997年に日本人として初めてパリ・ダカールラリーを制した篠塚建次郎。彼はダカールで21回のステージ優勝を誇り、ヨーロッパ人以外で初めてこのイベントの総合優勝者となった」 「ダカールチームは、彼の家族と愛する人々に哀悼の意を表する」 妻の篠塚ひろ子さんは氏の訃報を伝えたSNS投稿においてコメントを発表。ファンに向けて長年の応援への感謝を示し、病を抱えながら最後まで走り続けた夫を褒めてあげてくださいと投げかけた。 「この3週間、建次郎さんは頑張って頑張って、サハラ砂漠と闘ってきました。2024年3月18日午前10時10分、ラックローズ(※編注:セネガルの首都ダカールに位置する湖。正式名称はトレバ湖)にゴールしました」 「本当に良く走り続けて来ました。褒めてやってください」 「長く応援していただきありがとうございました」 日本人ラリーストのパイオニア、篠塚建次郎氏のご冥福をお祈りいたします。 [オートスポーツweb 2024年03月19日]