【宮崎祐樹連載#6】想像を絶するトレーニングだった亜細亜大名物「やりがい体操」
【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(6)】大学4年の時点でプロを完全に諦めていた僕でしたが、当時の亜細亜大・生田監督との進路相談を経て社会人野球のセガサミーでプレーできることになりました。 本来、亜大からは右の外野手2人がセレクションという形で同社に派遣される予定でした。そこに監督が僕も追加で練習参加させてくれました。その時のフリー打撃がセガサミーの佐々木誠監督らの目に留まったんです。 都合3人でセガサミーの練習に参加させていただきましたが、正直言って亜大の野球部の練習の方がダントツにキツかったです。練習参加をさせてもらった亜大の3選手にとっては楽とまでは言いませんが、キツくはなかったです。 よく学生野球屈指の練習の厳しさで知られる亜細亜大などと表現されますが、どんなものかと思っている方々もいることでしょう。あくまで僕が在学中の練習ですが、少しここで振り返ってみたいと思います。 一日の流れでいくとまずは6時半に起床です。そこから朝礼があって、寮の部屋が26室あるのですが、目標などを書いてある練習日誌的なノートを1部屋ずつ読み上げていきます。そこから掃除をして朝食という流れになります。 練習開始は8時半です。まずは4000メートル走からよーいどんでスタートです。そこからは日によってメニューはいろいろとバリエーションがあって変わりますが、200メートル走を10本、100メートル走を10本のインターバル。そこから亜細亜名物の「やりがい体操」というサーキットトレーニングのようなメニューに入ります。 これがキツいんですよ。2人1組になっておんぶして400メートル走ったり、手押し車だったり10種目くらいですかね。ぴょんぴょんジャンプしたり、屈伸200回、伸脚200回だったり、腕をぐるぐる回したりね。これはなかなかに想像を絶しますよ。そうすると、このメニューをこなすころには午前中が終わってしまいます。 そこからは順番に食事をして、打撃練習の班、守備練習の班という具合に全体練習に入っていきます。それが14時半とか15時くらいに終わります。そしてそこからは延々と続く個人練習です。もちろん、やらされている練習ではあります。が、あくまで個人で考えているという形式で実践していた練習です。 これは生田監督が帰られるまで終わることはありません。僕らの時代でも厳しかったとは思いますが、井端さん(元中日)や赤星さん(元阪神)や、そのもっと上の先輩方の時代の方が大変だったと言い伝えられています。 自衛隊、軍隊などと例えられることもあるくらいなんですが、結果的に厳しい練習でけがをしてしまう選手も多かったです。ただ、生田監督は体が強くないと起用できないという方針でした。僕はプロに入ってそれを本当に実感しました。体が強いということは基本です。そうでなければプロの厳しい世界で1シーズン、戦えるはずがありません。 亜細亜大に進学して体力は本当に備わったと思っています。試合などの実戦に関してはバットを短く持って右方向にゴロを打つ場面だとか、チームの作戦に即したプレーを強く求められました。そういう部分、野球というゲームの本質を学べたことも大きかったです。 僕は捕手として大学に入りましたが、圧倒的に野球脳が足りていませんでした。そういった部分でも生田監督には多くのことを学ばせてもらいました。
宮崎祐樹