東海林さだお85歳「脳梗塞になりながら片目で原稿を描き上げて。入院中一番辛かったのは、塩気のない魚一切れ、小鉢、ご飯の質素な食事」
サラリーマンの日常を軽妙に描いた漫画や、独特な視点で食を掘り下げたエッセイを半世紀以上にわたり発表し続けている東海林さだおさん、85歳。複数の連載を抱え多忙を極めるなか、2023年6月、脳梗塞を患った。入院をきっかけに「食生活の大変革」があったという(構成:山田真理 撮影:大河内 禎) 【写真】現在までで687冊にもなるという、アイデアメモ帳 * * * * * * * ◆片目だけで漫画を描き上げた 今年の6月に僕は、脳梗塞を起こして2週間の入院を経験しました。異変に気付いたのは28日の朝のこと。目が覚めたら、あらゆるものが二重に見えたんです。目の前に立てた1本の指が、なぜか2本に見える。2本は4本、4本は8本……こりゃあどうもおかしいぞ、と。 困ったことに、その日は水曜日でした。僕は現在、週刊誌2誌で漫画を、月刊誌1誌でエッセイを連載しているんですが、毎週水曜日は『週刊文春』で55年続いている「タンマ君」の締め切り日なんです。 しばらく目を閉じて考えてから、試しに片目だけ開けてみました。すると世界が昨日までと変わりないように見える。もう一方の目を開いても同じ。それで結局、交互に片目をつぶりながら、半日かけて「タンマ君」の原稿を描き上げました。 もうね、根性というか執念というか(笑)。後で雑誌に載った漫画を見返してみたら、ちゃんと描けていて、自分でも偉いと思いましたよ。 原稿を編集者に渡した後、すぐに病院へ行きました。MRI検査を受けたら、脳の血管にできた血栓が視神経を圧迫しているとわかり、そのまま入院することに。 幸い症状が軽かったようで、血液をサラサラにする薬の点滴を受けることで、2週間後に退院できました。視界の異常も治療を受けて数日ですっかり元に戻り、ほっとしたものです。
8年前にも僕は肝細胞がんで42日間入院しているのですが、今回のほうが圧倒的につらかった。それは食事があまりに質素だったからです。脳卒中の治療中は過剰なエネルギー摂取を控えないといけない、という説明でしたが……。 毎食がサバなど魚の煮たのを一切れ、野菜のおひたしみたいなのが一鉢、それにご飯。これでおしまい。 さらにつらいのは、料理にまったく塩気がないことでした。とにかくマズい!こんなにマズいものが世の中にあるのかと、感動を覚えるくらいマズいのです。 がんで入院した時も塩分は控えなきゃいけなかったけれど、納豆だけはタレ付きのパックで出てきたんですね。小口切りのネギもちょこっと付いていた。 それを納豆に混ぜて食べ、最後にパックの底にタレの染みたネギが一切れ二切れ残ったのも大事に大事に使って(笑)、残りのご飯を食べる。そんな涙ぐましい努力をしながら、食事をしていたんです。 今回の入院食は、それを上回りました。味のしない煮魚、醤油が一滴かかったかかからないかのホウレンソウのおひたし。 ああ、ここに海苔の佃煮かイカの塩辛があったらどんなに嬉しいか。イカの塩辛の足についた小さなイボ、先にいくほど小さくなっていくイボの、その一個でも口にできたら……と思いを募らせたものです。
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