アジャコングは全女に合格した理由を知ってショック 「父がアメリカ人」で受けた差別と、母からの無償の愛
――アジャ選手の精神的な強さは、お母様の影響もありますか? アジャ:あると思います。母は昭和6年生まれなので、戦争も体験している。母の人生のほうが波乱万丈ですし、昭和の激動の時代に女手ひとつで私を育ててくれた。当時は、日本人以外と結婚したら「非国民」などと言われた時代です。それでもいいからと、世の中とずっと闘い続けた人なので、もっと楽に生きさせてあげたかったなという思いはあります。 近所に、私と同じような出生で、生活が少し苦しい子がいたんですけど、母はうちにしょっちゅう呼んでご飯を食べさせていました。困っている人には手を差し伸べる。でも、納得いかないことに関しては、とことん自分を通して突っ張る。あの強さを、少しでもいいから身につけたいですね。世の中で一番強い人は誰かといったら、いまだに母親だと思っています。 ――素敵なお母様ですね。 アジャ:私にとっては最高の母ですし、最高の"父"でもあります。産んでくれてありがとうと思いますし、だから私は堂々と「マザコンです」と言っているんです。 ――お母様の愛が基準になって、人間関係がうまくいかなかった時期もあったとか。 アジャ:無償の愛をくれるのは母親だからだし、特にうちの母の場合は、私にいろいろなものを背負わせてしまったという罪悪感もあって、「娘には決して不自由はさせない」という思いで接してくれたんですけど、それは母親だからできること。他人との付き合いでは、そこまで求めるのは難しいですよね。 ――どういう場面で難しいと感じましたか? アジャ:たとえば、お付き合いする人ができた時に、「なんで私はこんなにあなたのことを想っているのに、返してくれないの!?」となったり。あとは、すごく信頼していた人に裏切られたり。今はいい意味で、「人を見たら泥棒と思え」という考えを頭の片隅に置いておこうと思っています。裏切られたことでいちいち傷ついていたら、生きていけません。ただ、今、私の周りにいる友だちや知人は、本当にみんな裏切らない人ばかりなので、奇跡の時を過ごしています。 人間は、自分の状況がいい時はいいんですけど、自分の状況が悪くなったら自分が一番になる。もちろん私もそうです。人のことを考えていられないから、裏切るつもりじゃなくても、結果的に相手にとって「裏切った」と受け取られることになってしまう場合もある。「人間ってそういうもんだよな」と思っていると、一度疎遠になっても、何年後かに戻ってきてくれる人もいるし、人に期待しすぎないのが一番いいなと思いますね。 (連載3:長与千種は憧れでありライバル プロレスを続けるきっかけになった「失望のシングルマッチ」も振り返った>>) 【プロフィール】 ●アジャコング 1970年9月25日、東京都立川市生まれ。長与千種に憧れ、中学卒業後、全日本女子プロレスに入門。1986年9月17日、秋田県男鹿市体育館の対豊田記代戦でデビュー。ダンプ松本率いる「極悪同盟」を経て、ブル中野率いる「獄門党」に加入。1992年11月26日、川崎市体育館でブル中野に勝利し、WWWA世界シングル王座を奪取。1997年、全女を退団し、小川宏(元全女企画広報部長)と新団体『アルシオン』を設立。その後、GAEAJAPANへと闘いの場所を移し、2007年3月10日、OZアカデミー認定無差別級初代王者となる。2022年12月末、OZアカデミーを退団。以降はフリーとして国内外の団体に参戦している。165cm、108kg。X:@ajakonguraken Instagram:@ajakong.uraken
尾崎ムギ子●取材・文 text by Ozaki Mugiko