アジャコングは全女に合格した理由を知ってショック 「父がアメリカ人」で受けた差別と、母からの無償の愛
――ショックを受けましたか? アジャ:受けましたね。自分の実力で全女に入ったと思っていましたから。同期にも、アメリカと中国にルーツがある選手がいたんです。「お前ら3人を揃えてみたらおもしれえ、と思ったから合格にしたんだから」という言われ方をしたんですよ。16歳でそれを言われたので、さすがにショックでしたね。 ――今は、お父様がアメリカ人ということをポジティブに捉えていますか? アジャ:今は本当によかったなと思ってます。筋トレをしても、女性ってなかなか筋肉がつかないんですけど、同じメニューをやっても私はどんどん筋肉がついていった。「女子だと僧帽筋はつかないよ」って言われたけど、特に全盛期の時はガッツリ僧帽筋がついてましたから。身体能力にしても、ブル中野さんと抗争していた時に体重が100kgを超えていてもなんでもできたのは、父からもらった血のお陰です。 体重が100kgを超えるのも才能なんです。筋肉をつけながらだと、なかなか100kgには届かなくて、中野さんはステロイドを打ったくらい、難しい。私はそこに苦労しなかったので、周囲の人たちから「それも才能のひとつだよ。誰にもマネできないことだ」と言われた時に、「お父さん、ありがとう! ラッキー!」と思いました。プロレスをするために最高の肉体をくれた父と母に感謝ですね。 【天国の母へ、唯一の親孝行】 ――17歳の時、お母様が脳内出血で倒れてしまいました。 アジャ:「今まで育ててもらった分の恩を返さなきゃ」と思っていたんですけど、当時の私はまだアジャコングにもなれていなかった。ヒールになってもくすぶっていたし、入院している母のお見舞いに行くくらいで、何もしてあげられなかった。19歳の時に母が亡くなってしまうんですけど、その頃にアジャコングになって「さあ、これから」という時だったんですよ。母に何ひとつ恩返しができないまま、甘えるだけ甘えて亡くなってしまった。 ――ショックだったでしょうね......。 アジャ:「自分もこの世からいなくなっちゃおうかな」と思いました。あんなに私のことを愛してくれて、大事にしてくれる人は二度と出てこない。「世界中でひとりぼっちになった」という気がしたんですけど、プロレス界のみんなから「唯一できることは、あなたがこれからしっかり生きて、自分の人生を全うするのを見せることじゃない?」と言ってもらったんです。そうか、唯一できる親孝行はそれしかない。だからとにかく「毎日なんとか頑張って、ご飯を食べて生きてます!」というのだけは見せなきゃなと思っています。