「さみしいですね…」引退した貴景勝がつぶやいた…“同じ日”、ひっそりと現役引退した45歳ベテラン力士がいた「15歳から30年間の力士人生」「地元福井に帰る」
元大関の貴景勝が、新米親方”湊川”として、初めての本場所を迎えていた。紺色のジャンパーに身を包んで花道の警備をしながら、つい先場所まで自身が立っていた土俵を見つめていた。 【貴重写真】「泣けてくる…」45歳ベテラン力士、涙の断髪式&「現役引退した貴景勝の今」もすべて見る 「さみしいですね。もう戦えないんだなって……」 かつて、土俵上で吊り上がっていたはずの目は穏やかになり、28歳の青年らしい笑顔を見せる。 先の9月秋場所14日目。潔く引退を表明しての記者会見。貴景勝が紡ぐ一言一句に、報道陣の誰もが聞き入った。あるベテランカメラマンが、「近年稀にみるかっこいい会見だったなぁ」と感嘆する。28歳という若さで土俵を去ることに、「年齢で相撲を取っていたわけではない。自分が目指すものに対しての体力と気力がなくなったので、そこが引き時だな、と。横綱になることだけを考えてきて手をいっぱいの伸ばしたんだけど、届きませんでした」。 涙も見せずにしっかりと前を見つめ、己の相撲道を貫いた末の引退だった。
45歳力士の現役引退「30年分は覚えてないっすよ(笑)」
そして、同日。貴景勝が生まれる前から土俵に上がり続けていたひとりの力士が、ひっそりと土俵を去った。藤島部屋の序二段力士、越ノ龍、45歳。平成7年3月、元横綱三重ノ海の武蔵川部屋から15歳で初土俵を踏んだ“たたき上げ”だ。横綱武蔵丸、大関武双山、雅山、出島ら隆盛を誇る当時の武蔵川部屋で育ち、横綱大関らの付け人を経験した越ノ龍。いつしか“大兄弟子”となり、30年の月日が経った。 「苦労もなにも、30年分は覚えてないっすよ(笑)」 元大関貴景勝に負けず劣らず、この越ノ龍も満身創痍だ。痛々しいほどに巻かれた足首の包帯と足袋が、すべてを物語っている。 「関取になれる可能性のない力士をいつまでも部屋に置いておくのはいかがなものか?」「第二の人生を考えて早めに引導を渡してやれ」と、問題視する向きもある。実際“プレイングマネージャー状態”“ベテランちゃんこ長”として重宝されている例も見受けられる。しかし、誰よりも稽古に熱心で、弟弟子らの模範となり、相撲愛とたぎる情熱を支えに土俵に立ち続けることは誰も止めることができないのも、これまた事実なのだった。
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