「さみしいですね…」引退した貴景勝がつぶやいた…“同じ日”、ひっそりと現役引退した45歳ベテラン力士がいた「15歳から30年間の力士人生」「地元福井に帰る」
「これは歴代2番目の記録でございます」
9月秋場所千秋楽打ち上げパーティー前に、厳かに行われた越ノ龍の引退断髪式。かつての兄弟子で、師匠である元大関武双山――藤島親方の言葉に、45歳の力士の相撲人生が集約されていた。 「越ノ龍ですが、平成7年3月の初土俵以来の約30年間、皆さまにはたいへんお世話になりました。衷心より厚く御礼を申し上げる次第でございます。最高位は幕下34枚目、在位は20場所。三段目としては101場所も務めることができました。これは歴代2番目の記録でございます。 土俵以外でも、部屋のちゃんこ長として毎日、ちゃんこを作ってくれました。 いつもいろいろなことに気を配って、弟弟子の面倒をみたり、また、地方場所の段取り、準備など、自分のこと以上に仲間や部屋のために尽力してくれました。 私も部屋を持ちまして14年になりますが、越ノ龍の力というのは本当に大きかったと感謝しております。関取になることは叶いませんでしたが、それ以上に値打ちのある、立派な相撲人生だったと思います。これから新しい人生が始まりますが、この越ノ龍ならば、どのような人生を歩んでも大丈夫だと思っています。皆さま方におかれましては、どうぞ、今後とも変わりませぬよう、越ノ龍こと佐々木敏彦のことを応援していただければ幸いでございます。どうぞよろしくお願い申し上げます」 “縁の下の力持ち”として部屋を支え続けた功績とその人柄に、師匠が厚く感謝を述べる“最高の賛辞”だった。
「両親のいる地元福井に帰る」
最初で最後の大銀杏を切り落とし、第二の人生の門出に師匠から贈られたスーツに身を包んだ元越ノ龍が、壇上で挨拶をする。ちなみに師匠に連れられて行ったビッグサイズ専門店で、スーツ2着、ワイシャツ、靴やベルト一式すべてを、師匠が買い揃えてくれたのだという。 整髪中で師匠の賛辞を聴くことが叶わなかった越ノ龍だったが、まるで師匠の言葉に呼応するように、 「このような断髪式を開いていただき、まずは藤島親方に感謝申し上げます。(中略)自分はいなくなりますが、これからも藤島部屋を応援してくだされば幸いと思います」 と謝辞を述べ、師弟の絆を垣間見せていたものだ。 15歳での上京以来、ゆっくり顔を見ることが叶わなかった、年老いた両親のいる地元福井に帰ることを決めた。相撲界で腕を磨いたちゃんこ料理を武器に、飲食店で働きながら、親孝行をしたいという。30年にわたる相撲部屋の“大部屋暮らし”から脱出し、実家近くのアパートでの初めての一人暮らしも始まった。 「そうそう、車の免許、取れましたよ! 実家に戻ってからは目の手術や、蜂窩織炎などが今になって出てしまっていますけど、今はゆっくり治せますから。相撲は、テレビで観てますよ。藤島部屋の子たちだけですけどね(笑)」 現役時代にこつこつと貯めていた“500円貯金”で、ちょっと高価な特大ソファを購入し、手足を思い切り伸ばして弟弟子たちの活躍を見守っているという。 「年齢で相撲を取っていたわけではない」との、元大関の言葉が蘇った。 番付は違えど己の「相撲道」を貫いたふたり。 ちゃんこの味が染みわたった“大兄弟子”は、30年の歳月を掛けて思い残すことなく、晴れて今、「相撲大学」を卒業したのだった。
(「相撲春秋」佐藤祥子 = 文)
【関連記事】
- 【貴重写真】「泣けてくる…」45歳ベテラン力士、涙の断髪式&「現役引退した貴景勝の今」もすべて見る
- 【消えた天才】「電撃引退」逸ノ城とは何者だったのか?「ずっと部屋でひとりぼっちでした」女子にも負けた“最弱”高校時代…ザンバラ髪の怪物が誕生するまで
- 【人気】「これでもアイドルだったのよっ」芸能界を引退し“男だけの”相撲界へ…元・高田みづえが32年間のおかみさん業を“卒業”するまで
- 【消えた天才】「ちゃんこの味で言い合いに」「おかみさんを突き飛ばして失踪」優勝せずに横綱昇進、24歳で廃業…“消えた天才”北尾光司の知られざる実像
- 【話題】「非合法ギャンブルで一晩2000万円を溶かし…」日本プロレスから追放された“伝説のレスラー”豊登とは何者か?「“親方と不仲説”…23歳で相撲界から消えた」