家族になったボクとおばちゃん 歳月の記録…13年「恩返しがしたい」 【東日本大震災13年の“あれから”】
■震災4年 成長を刻んだ柱とともに自宅が
震災から2年経った2013年3月には、2人の関係も少しずつ変わり始めていました。 当時、小学校3年生の佳祐くんが話してくれたのは、震災前に寝ていた2段ベッド。「(姉の)佳奈ちゃんが下でボクがここ(上)。いつも時計置いて『おはよう』って言って…」。 思い出に触れると、幼いころからの癖が無意識に出ることもありました。 5年生になった佳祐くんは、自宅で勉強していると、声をかけてきた玲子さんに「ねぇ! だからさあ!」「もう! いちいちうるさいな!」とふてくされた様子。ただ、玲子さんは、「2人でいる時は絶対言わないよ。そんなこと言ったらとんでもないことになるもんね、佳ちゃん」と笑顔で話しかけていました。 震災から4年がたち、身長も20センチ伸び、149センチに。 玲子さん 「おばちゃんが大体151.5か2ぐらい。だんだん(差が)縮まってきているような気がする」 一緒に暮らすようになって、柱には身長を刻んできました。その柱と共に、自宅が壊されることに。堤防が拡張されるため、家族と過ごしてきた自宅は立ち退かなければならなくなりました。
■12歳の誕生日 赤いリボンのプレゼント
震災から5年。内陸に造成された街に玲子さんが家を建てました。これからはこの場所で、新しい思い出を積み上げていきます。 佳祐くんの12歳の誕生日。赤いリボンのプレゼントを手渡せれ、「オレ女の子じゃないぞ、この赤い(リボン)」といった次の瞬間、「どうしよう、カセット(ゲーム)だ」と笑みがこぼれます。中身は、新しいゲームでした。 取材スタッフの「もらったらなんて言うの?」という言葉に―――。 佳祐くん「ありがとうございました」 玲子さん「いいえ、どういたしまして。12歳の誕生日おめでとうございます」
■やはりずっと「おばちゃん、おばちゃん」で来たので
玲子さんは「よく周りの人から言われるのね、もうお母さんって呼んでるのとか何とかって。そういう話よくされるんだけど、やっぱりずっと『おばちゃん、おばちゃん』で来たので今でもそういう感じ」と話します。 玲子さん 「佳祐も『ひとりじゃない』っていう風に言うけど、私もひとりじゃないみたいに感じますね。本当に」 ◇ 一方で佳祐くんも「一緒に暮らして笑ったり、泣いたりとかまあ昔と比べりゃ今の方がいいなと思う」と話してくれました。 「逆に大変なこととか自分の中であったりした?」というスタッフの問いには、「そういうのはまあ…」「人生そんなもんだから…」