日本初の「女性首相」は生まれる?...「高く硬いガラスの天井」を破るための「条件」とは
女性首相の実態を数で見ると
これに対してニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は17歳で労働党に入党、28歳で国会議員に初当選、37歳で首相に就任、42歳の昨年「もう力が残っていない」として辞職し引退するという、早馬で駆け抜けるような政治家人生を送った。 女性のエンパワメント(本来の力を開花させること)に関する一つのモデルケースとして、世界の女性政治家に強い影響を与え、いまだに「ジャシンダマニア」と呼ばれる熱狂的な崇拝者が多い。 デンマークのメッテ・フレデリクセン首相は24歳で国会議員に初当選。33歳でデンマーク初の女性首相ヘレ・トーニングシュミットに雇用相として抜擢され、法相を経て、37歳で野党に転落した当時の社会民主党の党首に就任。19年に41歳で首相に就任し、今に至っている。 「ガラスの天井」が頭上を覆いかぶさるより早く階段を駆け上がり、その勢いで「最も高く硬いガラスの天井」を突き破るというパターンが2人に共通している。
「意志の力」と「モメンタム」
ここで、スウェーデン・イエーテボリ大学を拠点とするV-Dem研究所(デモクラシー多様性研究所)が公表している年次報告書(24年版)を見てみよう。 この報告書はさまざまな指標を用いて、世界179カ国をリベラルデモクラシー国家(G7各国、北欧諸国など)、選挙デモクラシー国家(マレーシアやインドネシア、スリランカなど)、選挙権威主義国家(ロシアやインドやタイなど)、閉鎖権威主義国家(中国や北朝鮮やイランなど)という4つのカテゴリーに分類している。 このうち日本が分類されている「リベラルデモクラシー国家」は32カ国ある。首相を16年以上務めたドイツのアンゲラ・メルケルのように、歴史に名を刻む女性首相がきら星のごとくそろっているように思われるかもしれない。 ところが32カ国における女性首相の実態を検討すると、そうとも言えないことが分かる。 32カ国中、最高権力者としての女性首相をこれまでに複数人出しているのは、わずか7カ国にすぎない。 3人の女性首相を輩出した国は、マーガレット・サッチャー首相(79年)とテリーザ・メイ首相(16年)とリズ・トラス首相(22年)のイギリス、ジェニー・シップリー首相(97年)とヘレン・クラーク首相(99年)とジャシンダ・アーダーン首相(17年)のニュージーランド、そしてアンネリ・ヤーテンマキ首相(03年)、マリ・キビニエミ首相(10年)、サンナ・マリン首相(19年)のフィンランドという3カ国だけだ。 2人の女性首相を出した国はやや増えて、前述のヘレ・トーニングシュミット首相(11年)とメッテ・フレデリクセン首相(19年)のデンマークと、ノルウェー、アイスランド、ラトビアの4カ国になる。 これら女性首相を複数人出した7カ国はいずれも英連邦または北欧の国家だ。二大政党制が定着し政権交代可能な政治状況下で、野党時代に党首になって選挙で勝利して首相になるか、ジェンダー平等な政治文化の下で是々非々で首相に選出されるのが典型的なパターンだ。 複数の女性首相が誕生しているということは、デンマークのフレデリクセンがトーニングシュミット首相に引き立てられたように、「女性首相という経験」が継承され蓄積され得ることを意味するが、その経験はわずか7カ国でしか享受されていないのである。 しかもイギリスですら、サッチャー退陣後、次の女性首相メイが生まれるまでに四半世紀の歳月を要している。 これに対して、女性首相(大統領)が1人しか誕生していない国は、ドイツ、オーストラリア、韓国、台湾(総統)、ベルギー、スウェーデン、イタリアなどの14カ国に達し、1人の女性首相(大統領)も生まれていない「ゼロ国家」は、日本、アメリカ、フランス、スペイン、オランダなど11カ国に上る(フランスには2人の女性首相がいたが、上司は男性大統領)。 最高権力者としての女性首相・大統領の輩出と継続が容易ではないことが分かるであろう。 「最も高く硬いガラスの天井」を打ち破るには、何が必要だろうか。女性首相を生む政治メカニズムと政治文化は国によってさまざまだが、共通する要素は、前述のように「強い意志の力」と、チャレンジを後押しする客観的な政治状況が「モメンタム」として存在していることだ。 強い意志の力があってもモメンタムがなければ成就しない。あるいはモメンタムをつかみ損ねたら「最も高く硬いガラスの天井」を打ち破ることはできない。 ヒラリー・クリントンが16年の米大統領選でドナルド・トランプ前大統領に敗北した際に「ガラスの天井」に言及したのはまさにそうした文脈であり、ヒラリーはトランプという異形の千両役者に勢いを阻まれたとも言えよう。 日本ではこれまで、土井たか子衆議院議長、扇千景参議院議長、山東昭子参議院議長という3人の女性が衆参の議長に就いている。 特に野党社会党の党首であった土井たか子は、89年の参議院選挙で自民党を過半数割れに追い込んで「山は動いた」と快哉を叫び、選挙後の参議院で女性初となる内閣首班指名を受けた。 しかし衆議院の優越によって海部俊樹自民党総裁が首相に選出され、土井はその後、93年に衆参を通じて初となる女性衆議院議長に就任して政治キャリアを終える。