時代を超えて受け継がれる野村イズム【川口和久のスクリューボール】
自在だった現役時代
ヤクルト監督時代の野村氏
12月11日、神宮球場で野村克也さんをしのぶ会があった。この世を去って、もうすぐ2年。新型コロナ禍で延期されていたものだったが、結果的には、ヤクルトの日本一を愛弟子・高津臣吾監督が報告することができた。 現役時代は南海で9度のホームラン王、7度の打点王に輝き、1965年には三冠王も獲っている。昭和のキャッチャーと言えば八番打者のイメージが強いが、野村さんは長打力、打率と打撃の自在さだけではなく、驚いたのだが、2ケタ盗塁が3回もある。しかもうち2回は35歳で兼任監督になってからの達成だからね。 ただ、当時、パ・リーグは人気がなかった時代で、しかも、自身がつくったさまざまな記録が次々、王貞治さん(巨人)らに抜かれたこともあって、「月見草」と自虐的に自らを表現されたこともあった。 現役を終えてからはヤクルト、阪神、楽天で監督をされたが、やっぱり一番は90年に就任し、9年間で4度の優勝と3度の日本一があるヤクルト時代だろう。Bクラスが当たり前だったチームを鮮やかに変えた。それこそ75年に初優勝してから黄金時代に入った広島に近い感覚がある。 ただ、方法論は少し違う。実は、昔、一緒に試合の解説をしたことがあって、そのとき・・・
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週刊ベースボール