【レジェンドインタビュー】山崎武司(元中日、楽天ほか) セ・パ両リーグ本塁打王&通算403本塁打のスラッガー「ヒットは誰にでも打てるけど、ホームランは限られた人にしか打てない」
天性の素質だけで勝負 厚かったプロの壁
新球団の楽天に移籍したのは2005年、36歳のとき。在籍7年で191本塁打を放った
飛ばすことにかけては天性のものがあった右の長距離砲。通算403本塁打は歴代20位。自身の代名詞でもあったホームランについて、高校時代の話から、その魅力、ポイント、ライバル打者への思いなどを聞いた。 取材・構成=牧野正 写真=BBM 【プロ野球90年特集 本塁打への憧憬 夢を乗せて飛ぶボール】 ──中学時代はホームランを1本も打ったことがないそうですが、本当ですか。 山崎 本当。部活動の軟式野球ですけどね。当たれば飛んだけど、なかなか当たらんかった。部も弱かったし。 ──高校からは相撲と陸上で誘いはあったものの、野球ではなかったそうですね。 山崎 中学3年の最後の試合が1回戦負けだったから時間があって、相撲部や陸上部から声が掛かって借り出され、それで全国大会まで行っちゃったから。陸上のボール投げでは全国で準優勝。だからスカウトが来て、相撲も5部屋くらい来たのかな。当時から腕っぷしは強かったし、肩は打撃より自信があったしね。 ──となると、進学した名電(愛工大名電高)は一般入試だったのですか。 山崎 兄貴がそのころ、たまたま名電に教育実習へ行っていたんですよ。僕の話をしたら「じゃあ連れておいで」となってセレクションを受けたら合格。子どものころから「将来はプロ野球選手になる」と思い込んでやっていたので、名電にお世話になろうと決めました。 ──高校通算56本塁打ですが、名電でみっちりと鍛えられたのですか。 山崎 全然。僕らの時代は科学的なトレーニングなどなくて、それこそ根性、根性。原始的なトレーニングばかり。それでも僕は好きにやらせてもらえて、ほとんど練習してない(笑)。夜練習というのもありましたけど、僕は参加しませんでしたよ。今でも当時の仲間と会うと「お前、本当に何もしていなかったよな」と言われます。ウエート・トレーニングなんて当時もプロに入ってもやってない。 ──卒業後にプロに行くのなら、もっと打撃力を磨かないと、という気持ちもなかったですか。 山崎 完全にポテンシャルだけでやっていたかな。監督にも「好きにやれ」と言われていたし、練習しなくても結果が出てた。だからプロへ行っても、それなりに打てるだろうと。このまま行ける、やれると、今思えばうぬぼれてたね。 ──地元の中日からドラフト2位で指名され、プロに入った途端、その自信が吹っ飛ぶわけですか。 山崎 最初のキャンプでシート打撃のときに、投手が宮下(宮下昌己)さんだったんですが、そのときに・・・
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週刊ベースボール