パリ・パラ選手村で大人気!日本人ボランティアがデザインしたピンバッジ、メルカリで高額取引も
取材をした27日には、パリ2024オリンピック・パラリンピック大会組織委員会のトニー・エスタンゲ会長が来村してイベントが開かれていたが、松木さんは「トニー会長にピンバッジを渡したい」と言っていた。彼を見つけてピンバッジを渡すと、「富士山とエッフェル塔だね。僕は富士山に行ったことあるんだ。ありがとう!」と笑顔で受け取ってくれた。 ピンバッジ交換の伝統は、1896年の第1回近代オリンピックにまでさかのぼる。当初は、選手や審判、役員を識別するためのシンボルとして利用されていたが、時を経るにつれて記念品としての意味を持つようになり、大会参加者同士の交流の手段に変化した。1980年代にはピンバッジ交換がさらに活発化し、1998年の長野冬季五輪をきっかけに日本でも広がった。以来、多くのスポーツイベントや文化行事でもピンバッジ交換は盛んになっている。 松木さんがデザインに協力したピンバッジも、パリパラリンピックの参加者同士の交流を深める大事なグッズになっている。