「安楽死したい」と患者 がん治療医が伝えたい緩和ケアへの〝誤解〟 抗がん剤と並行、仕事と楽しみも両立
「人生を諦めない」と捉え直して
――勝俣先生が「緩和ケアが重要」と考えるようになったきっかけはあるのでしょうか。 きっかけというか、それは元々ですよ。というのも、私は医師になりたての頃、緩和ケア医になりたいと思っていたのです。 私は医学部に行って、病気を治せるようになりたいと思っていました。手塚治虫さんの『ブラック・ジャック』に憧れて、医学というものに大いに期待して、医学部に入りました。 でも、医学では未だに、治らない病気が多いのです。今でさえ、治る病気なんてほんの一部。私が医学部を卒業したのは36年前、1988年ですから、もっとですね。『ブラック・ジャック』のように、奇跡はそうそう起きなかったんです。 医師としてどんな道を進むべきか迷って、当時、国内の緩和ケアの先駆けとして院内独立型ホスピスを設置していた静岡県の聖隷三方原病院に見学に行きました。私はその頃、医療に絶望していたんですが、そこで出会った患者さんたちは、イメージとまったく違った。 そのホスピスの患者さんたちは、笑顔で私を迎えてくれて。「私は余命いくばくもないから」と言いながら、明るく冗談を言って、最後は「先生、頑張ってね」と握手で見送ってくれました。 びっくりしました。当時の私自身、緩和ケアには「できる治療がない」というネガティブなイメージがありました。でも、緩和ケアにより痛みを取り、生活すれば、最期までその人らしくいられる。だとしたら、もう一度、がん治療というものを学び直そうと、国立がんセンターで研修することにしたのです。 ――それ以来30年以上にわたりがん治療に取り組まれています。「2人に1人ががんになる」と言われますが、自分や家族ががんになったとき、どんな心構えをするのがいいでしょうか。 ひと口に「がん」と言っても数百種類あり、その症状や治療もさまざま、患者さんによっても千差万別です。それでも言えることは、がんとは長く付き合っていくものであるということ。「激しく闘う」のではなく、上手く共存する必要があります。 私自身、これだけがんを治療してきても、自分ががんになるのは怖い。医療者はよく「死の受容」という言葉を使いますが、そんなに簡単にできるわけがないですよ。自分ががんになったら、とても「受容」なんてできるものではないと思います。 だからこそ、支えが必要です。治療医は、積極的な治療が終了したからと、患者さんを見放すのではなく、「最期まであなたの主治医です」「いつでも相談してください」と言ってほしい。 「緩和ケア」を「がんの治療を諦める」と捉えるのではなく、「自分の人生を諦めない」「緩和ケアも治療の一つ」と捉えてほしい。やりたいこと、好きなことを諦めず、自分の人生を大事にしてほしいです。 <プロフィール>勝俣範之(かつまた のりゆき):日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授、外来化学療法室室長。1963年山梨県生まれ。富山医科薬科大学(現富山大学)医学部卒業後、国立がんセンター中央病院内科レジデント、内科スタッフ。国立がんセンター医長などを経て、2011年より現職。日本臨床腫瘍学会指導医、日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。近著に『あなたと家族を守る がんと診断されたら最初に読む本』(KADOKAWA)がある。