「日本で一番悪い奴ら」の生みの親 違法捜査まみれの「平成の刀狩り」とは
押収された多くはヤラセによる“首なし拳銃”
銃器対策室はしかし、発足間もなくして壁に当たる。情報をもとに家宅捜索して銃器所持者を逮捕したり、地道な捜査を積み上げて暴力団の武器庫(3丁以上保有している場所)を摘発したりする手法では、道警の押収目標・ノルマには到底及ばないからだ。告白本によると、元警部の上司たちは「首なし拳銃でもいいから、数を出せ」と求めてきたという。所持者不明の“首なし拳銃”の摘発は「被疑者の身柄なしでも国内から拳銃がなくなるなら」という警察庁のお墨付きだったとされる。 首なし拳銃は一般的に、捜査員が暴力団や捜査協力者(S=スパイ)から銃を受け取り、指紋をふき取った上でコインロッカーなどに入れて、自ら警察署に通報するというパターンだ。銃の所持者が分かっているのだから、本来なら犯人隠匿と虚偽公文書作成罪に抵触するにもかかわらず、「平成の刀狩り」の大号令によって全国の都道府県警で行われていた。 元警部は告白本に当時の心境をこう記す。「首なし拳銃の摘発は道警でも以前からあり、所持者を逮捕しないため手軽に見える反面、暴力団に拳銃を出してもらう代わりに別の犯罪を見逃さざるを得ないという危険性があった」「(押収量にこだわるあまり)被疑者の立件や組織摘発という捜査の基本をないがしろにした点で、道警の銃器捜査は出だしから異常な方向に向かっていた」 銃器捜査の現場は、93年の自首による刑の減免規定でさらに捻じ曲っていく。警察庁の目的は拳銃押収量をアップさせることだったが、減免規定ができたところで自分から拳銃を手に名乗り出る殊勝な暴力団員などいない。大した罪に問われないことから、元警部は多くの暴力団員やS(スパイ)に頼み込んで自首させたという。中には捜査側があらかじめ拳銃を用意した上で暴力団関係者に自首させるケースもあったとされ、「架空のでっち上げ捜査をやっていた」と告白本に記している。 「いかさま」「ヤラセ」と呼べるこうした銃器捜査の結果、全国での拳銃押収量は飛躍的に増加する。警察白書によると、91年は1032丁(うち暴力団関係954)だったのが、92年1450丁(1072)、93年1672丁(1196)、94年1747丁(1242)、そして当時の国松孝次・警察庁長官が銃撃された95年には過去最高の1880丁(1396)というピークに達する。 白書の94年版は押収量の増加要因の一つとして、93年夏にスタートさせた減免規定の役割を誇るかのように、各地の警察に拳銃を所持して自首した暴力団員らの事例の数々を紹介している。 だが、全国を通してその内実はお寒いものだった。道警を例にすれば、当時の銃器対策室で押収した拳銃の半数は、元警部が暴力団やSに頼んで出させた「首なし」か、減免規定を使った「でっち上げ」の自首による押収だった。告白本では、親しい暴力団員やSとの共犯関係がなければ「拳銃など一丁も出せなかった」と吐露している。 その一方、押収の経緯をすべて報告していた銃器対策室だけでなく、署長や方面本部長といった幹部らも捜査手法を問題視することなく「うちにも一丁くれ」と元警部が入手する拳銃に群がったという。すべてが自らの部署のノルマ達成、予算獲得のためだった。