「日本で一番悪い奴ら」の生みの親 違法捜査まみれの「平成の刀狩り」とは
95年をピークに押収量は減少傾向止まらず
警察白書を丹念にたどると、拳銃押収量はその後、95年を頂点として96年1549丁(1035)、97年1225丁(761)、98年1104丁(576)、99年1001丁(580)と減少を続け、2000年には4桁を割って903丁(564)に沈み込む。99年版の白書はそうした中、98年まで過去5年間の自首減免規定で押収した拳銃計1083丁に関する一覧表を掲載し、あくまで「国内に潜在する拳銃の回収に成果を上げている」と強調した。 とはいえ、減少傾向に歯止めはかからず、03年版の白書は「銃器使用事件は高水準で推移している一方、02年の押収量はピーク年の40%の747丁(327)」と警鐘を鳴らす。減り続ける押収量について、この当時の白書は毎年のように「隠匿方法が巧妙化・潜在化し、押収が困難な状況となっている」と同じような文言を連ねるだけだった。 この間には全国の警察で散発的に、拳銃押収をめぐる捜査員とSとの「ヤラセ」事件などがポツリポツリと表面化していく。そして、02年には「恥さらし」の著者である道警元警部が逮捕され、法廷という公の場で、組織ぐるみの違法な拳銃捜査が常態化していた事実が白日の下にさらされた。 これらの不祥事を受け、警察庁は公式に「平成の刀狩り」の失敗を認めざるを得なかった。組織改革に追い込まれ、04年に刑事局に組織犯罪対策部を設けて銃器対策を担わせた。各都道府県警も生活安全部から銃器捜査を切り離し、組織犯罪対策部を新設したり、刑事部内に新たに組織犯罪対策局を設けて担当部署にしたりした。 「あのころ、どんな思いで銃器捜査をやっていたのか」――。元警部の逮捕から2年後の04年夏、「刀狩り」の最盛期に札幌市内署で拳銃捜査を手掛けていた旧知の警察官に聞いたことがある。苦い笑いを浮かべつつ、こんな言葉が返ってきた。「組織の一員は上の言うことに従うだけだ。コインロッカーの拳銃がヤラセだってことはみんな知っていたけど、とにかく押収目標・ノルマの前には手段なんてどうでもよかった。俺には有力なSがほとんどいなかったけど、元警部はある意味、仕事ができすぎたんだ」 国内での銃器押収は組織改編後も下降の一途をたどる。05年489丁(243)、10年397丁(98)、14年は持ち直したものの471丁(74)と、かつての4ケタ台は遥か遠い数字になっている。