世界中の登山家が避ける“冬のアラスカ”で突然意識を失った日本人登山家(41)の運命は…6歳の娘は「お父さん、死んだ」とつぶやいた
「まるで戦場だな……」 登山家・栗秋正寿は、雪洞から外をのぞいたとき、そんなことを思った。 【実際の写真】深い雪が積もった斜面を1人で掘り、雪洞を作る。その中で数日を過ごす栗秋の忍耐力はアラスカの現地民からも「日本のトナカイ」と呼ばれ畏怖されている 雪洞とは雪面を掘って作ったシェルターのことで、文字通り雪でできた洞窟のような形状をしている。雪洞内は気温こそ氷点下ではあるものの、無風・無音で平和そのもの。ところが数メートルの雪の壁を隔てた外界では、気温は零下40℃ほどにもなり、加えて猛烈な風が荒れ狂っている。風速は50mを超えているのだろうか。 ときおり爆発したような音が聞こえる。雪崩の発生音かと思いきや、そうではなかった。巨大な氷の塊が飛んできてどこかにぶち当たっているようだ。もしくは、あらゆる方向から吹き付ける風が互いに激しく衝突し、空気が一瞬にして破裂しているようなのだ。
「なにかひとつアクシデントがあるだけでもう終わり」という場所
まさに銃弾が飛び交う戦場の最前線。外に出たらとても生きてはいけない。その最前線に塹壕を掘ってじっと身を潜めている気分である。戦場と違うのは、自分以外、周囲に誰もいないことだ。半径80km圏内が無人地帯なのだから。 なにかひとつアクシデントがあるだけでもう終わり。ここはそういう場所なのである。 2014年3月11日、41歳だった栗秋はアラスカのハンター(4442m)という山の標高3100m地点にいた。アラスカは最高峰のデナリでも標高6190m。ヒマラヤより2000m以上低いが、緯度がずっと高く北極圏に近いため、気象条件はヒマラヤより悪いといわれる。 特に冬の気象は最悪で、栗秋が遭遇した極低温・暴風はこの時期では珍しいことではない。ひどいときには零下50℃、風速70m超にもなるという。登山の難易度は夏の比ではなく、かつて冒険家の植村直己がデナリで遭難したのも2月だった。 栗秋は、世界の登山家の誰もが避けるこの「冬期アラスカ」の専門家だ。2014年のこのときまでにすでに14回の冬期単独登山を重ねており、デナリとフォーレイカー(5304m)の冬期単独登頂も果たしていた。フォーレイカーの冬期単独登頂は世界初だった。
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