統合失調症を否定して姉を家に閉じ込めた両親、家族はなぜ25年もすれ違い続けたのか?
● 姉の葬式で発せられた 父の信じられない一言 先ほど「母の認知症と思われる症状」と表現したのは、結局、一度も病院を受診することなく、亡くなったためだ。姉も63歳のとき、肺がんで亡くなる。その葬儀では、父が驚くべき言葉を口にする。 「わりと充実した人生だったんじゃないか」 「死んだ瞬間から、姉が統合失調症だったという事実を改ざんし、歴史を塗り替えてなかったことにする。さすがに頭にきましたね」 ただ父は、息子がカメラに写した家族の記録を映画としてまとめることを許した。カメラを通じ、閉ざされていた世界がスクリーンに投影され、多くの人の目に触れることを厭わなかった。そこに父の息子へ思いがにじむ。 「父はだんだん私の仕事を応援してくれるようになっていました。自分よりも、私が病気で動けなくなることの方を心配していた。だから、この映画についても応援はしてくれるだろうとは思っていました」 藤野監督が「姉が統合失調症だと思ったことがあるか?」と父に質問すると「ある」と答えた。ただ、「姉が統合失調症であることを母が恥じて認めなかった。その判断に従った」と口にする。姉よりも母を優先したということになるが、「それでいいと思った」と。 「事実が逆で、父が母にそう仕向けたのだと思っています」 姉の統合失調症を両親が認めなかったことで、藤野監督の人生は変わった。目指していた学者の道も諦めた。姉に「復讐をしたいの?」と問うたが、自身こそが、この映画を両親への復讐のために撮った、という側面はないのだろうか。
「処罰感情はありません。両親の人間性を問うつもりはありません。ただ、病院から遠ざけたこと、鍵をかけるという行動には問題がありました。撮影で出会ったアラスカ先住民のボブ・サムさんは、怒りは生活を悲惨にする、人生が怒りにまみれてしまうと、子どもたちからも笑顔が消えていく、と教えてくれました」 ● 絶対に忘れないでほしい 誰よりも当事者が圧迫を受けていること この映画を作った理由は、自分たちと同じような間違いをしないでほしいことに尽きると言い切る。 「統合失調症などの精神疾患がある人間は猟奇的な事件を起こすから、家や施設に閉じ込めておけという話が出てくることがあります。姉を見て分かるのは、誰より当事者が怯えながら暮らしていること。危害を加えるどころか、圧迫を受けながら生活しています。そのことを知ってほしい。そんな気持ちで作品としてまとめました」 藤野監督は、研究者が墓場から持ち去った先祖の遺骨返還を求めるアイヌの人々の姿を撮り続けている。きっかけは、「自分と同じように、困っていても話を聞いてくれる人がいないと感じたから」だという。 「誰かの支えになろうとする人こそ、一番支えを必要としている」。めぐみ在宅クリニックの医師、小澤竹俊さんの言葉がある。 「知り合いのミュージシャンに言われました。誰かの話に耳を傾けて受け止めるのは、自分に人間らしさが残っていると確認したいからではないか、と。それで自分の精神のバランスを取っている『アンバランスのバランス』だと。まさにそうかもしれません。映画を撮らないと、自分がまっすぐ立っていられない感覚です」 PROFILE 藤野知明(ふじの・ともあき) 1966年北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部林産学科を7年かけて卒業。横浜で住宅メーカーに営業とし2年勤務したのち、1995年、日本映画学校映像科録音コースに入学。2012年、家族の介護のため札幌に戻り、13年に浅野由美子と「動画工房ぞうしま」を設立。主にマイノリティに対する人権侵害をテーマとして映像制作を行なっている。現在、『アイヌ先住権とは何か?ラポロアイヌネイションの挑戦(仮)』のほか、サハリンを再取材し、先住民ウィルタ民族の故ダーヒンニェニ・ゲンダーヌさんに関するドキュメンタリーを制作中。
西野谷咲歩