統合失調症を否定して姉を家に閉じ込めた両親、家族はなぜ25年もすれ違い続けたのか?
● 両親が「ギブアップ」した日 入院したらみるみる症状が改善 実家を離れて東京で就職し、営業マンとして働いていた藤野監督は28歳で日本映画学校に入学。卒業後の2001年から、家族にカメラを向け始めた。 姉が発症した1983年の春から20年後、「統合失調症ではない」と診断した精神科医を突き止める。そして父の説明が嘘だったことを知る。その医師は「両親のうち一人が病気になれば、一人で二人をみないといけないので、ギブアップするかもしれない」とアドバイスをくれた。実際、その日が訪れる。 2008年5月、姉は精神科に入院。最初に救急車を呼んでから25年が経過していた。毎日お見舞いに通う中、1週間で姉の症状の変化に気付き、兄弟の会話を20年ぶりにできるようになった。 退院後、劇的に症状が改善していることは、素人目にも見てとれる。「これだけ症状が良くなるのならば、もっと早く受診させればよかったと思いませんでしたか?」と問うと、「はい。ただ主治医には、2000年代に出た(幻覚や妄想などの陽性症状に効果がある)非定型抗精神病薬が効いたお陰だと思うと言われました。でも遅くなって良かったことは一つもないです」 治療を受けた後、姉がカメラに向かいピースをするシーンが何回も映し出される。「もともと姉は陽気な人で、昔からよくピースをしていました。当たり前ですが、善良な人だった。そんな素の部分が出てくるようになったのだと思います」 「ギブアップした」きっかけは、母の認知症と思われる症状が出てきたためだ。「05年のころから私は気付いていました。父に相談したけれど、相変わらず受け入れませんでした」 謎の悪い男が家に侵入し、姉に麻薬を注射しているという妄想にとりつかれ、真夜中に見張りをするため、姉の部屋に入っていく母。どこか「姉を守れなかった」という罪悪感があっての行動にも思える。 「姉を守っているのは自分だという、自身の存在意義の最後の砦(とりで)だったのかもしれませんね。また、自分を苦しめているものの理由を、外に見つけようとして、苦しみから少しでも解放されたかったのかもしれません」