NPBファームに新規参戦の「くふうハヤテ」。大手企業を退職し就任した球団社長が語る「ゼロからの立ち上げ」
池田は四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグPlus)時代、福岡レッドワーブラーズ(2008年創設、2009年解散)の立ち上げに尽力したが、資金難のため2年で消滅した。池田にとってNPBに新規参戦する球団の立ち上げに協力してほしいという申し出は、まさに捲土重来の機会だったのだ。 「(NPB承認までの苦労は)行政との調整、詰めの作業ですね。県や市の行政団体にNPBの審査担当者が訪ねてきてヒアリングをしたのですが、その前に、行政担当者と何度もすり合わせをして準備しました。 NPB審査担当者に特に見られたことは『組閣と、選手をどのように集めるか』という点。アルビレックスさんとは違ってゼロからの立ち上げでしたので、プランを『細かく詳細まで記載して伝えてください』と言われました。 山下(大輔)GMにはいち早く内諾いただいて、申請書に記載できましたが、それ以外の組閣メンバーは『面談中です』とか『指導者候補として声をかけています』とか。球場も確保できて、球団の形もある程度できあがり、内定を頂戴した段階でも、スポンサー候補について何度も聞かれ、『都度、営業活動を報告してください』と言われました。 行政との詰めの調整、スポンサーの調整と営業、そしてチーム作り。この3つが大きな課題でした」 監督は90年代、近鉄の守護神として最優秀救援投手を5回、最優秀防御率を1回獲得した赤堀元之氏に依頼した。山下GMと同じく静岡県出身で地元での知名度も抜群だった。 「監督はじめ指導者の何人かは独立リーグも経験した方にお願いしたい、と考えていました。トップ・オブ・トップしか知らない人だと、環境面などNPBとのギャップに適応できず、なかなか続かないのではないか、と。赤堀さんは独立リーグの新潟と淡路島で監督経験もありました。ぜひお願いしたいと相談し、快諾いただきました」 そして先述のように2023年11月22日、くふうハヤテは新潟アルビレックスBCとともに参戦が承認された。しかし安堵する余裕もなく、翌年3月15日の開幕戦に向け、池田の仕事はなおも山積みだった。チーム編成のための追加トライアウト開催や、新たなスポンサー獲得と、さらに多忙な日々を過ごし奔走するのだった。 (つづく) ●池田省吾(いけだ・しょうご) 1974年生まれ、宮崎市出身。桃山学院大学社会学部卒業後、スポーツ新聞の契約記者などを経て渡米し、ワシントン大大学院でスポーツマネジメントを学ぶ。帰国後、四国アイランドリーグの運営、ゴルフ業界のマーケティング業務などを経て、2022年末から新球団・くふうハヤテベンチャーズ静岡の発足・運営に携わる 取材・文・撮影/会津泰成