証言台の特攻隊長 捕虜の扱い「国際法は知らず」処刑は前にも~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#57
米軍機搭乗員3人が殺害された石垣島事件の戦犯裁判。1人目を斬首した特攻隊長、幕田稔大尉に対する証人尋問は5日間にわたって行われた。1948年1月29日、検事に続いて、判決を下す米軍の委員会からの尋問が行われた。「殺害した米兵のほかにも斬首したことはあるのか」。弁護人が質問に異議を唱える中、異議は却下され、幕田は答えたー。 【写真で見る】死刑を宣告される幕田大尉と見られる写真
「署名せよ」米軍調査に恐怖
米軍からの調べを受ける際には、手続き上「真実を述べる」という宣誓をしてから調書を録ることになる。それがあるかないかで証拠の信用性に関わってくるわけだが、幕田大尉は検事側提出の調書は「真実でない」と否定しているので、宣誓があったかどうかを委員会は質問している。 なお、外交史料館に所蔵されている、この公判記録は名前がすべて黒塗りになっている。判明していない名前は○○で記す。 〈写真:BC級戦犯裁判がひらかれた横浜地方裁判所(米国立公文書館所蔵)〉 <公判概要 1948年1月29日(木)> (委員会の尋問に対する幕田の答弁要旨) 検事側提出の第17号証、第18号証は、調査の時も署名の時も宣誓はされていない。「署名せよ」と突き出され、調査の時の恐怖は続いていたし、署名せねばならぬものと思い、また署名にそれほど重要な意味があるとは思わず、何気なく署名した。署名を拒否したことはない。 (調べを受けた)明治ビルで虐待されたことは誰にも届けなかった。自分も軍人としてダイヤー調査官の憤慨する気持ちは分かり、無理もないと思ったから、真実でない口供書に署名したのは翻訳が大体のもので、特に間違っているとは思わぬし、調査の時の恐怖があったので仕方がないと思ったからだ。鉛筆で書いたものには、お前の言ったことが書いてあるから署名せよと言われ、プリントされたものにはばらばらのものを差し出され、色々な事を言われて署名を要求された。調査の時、真実を述べても聞かれなかったので、署名せねばならぬと思った。 昨年7月、巣鴨へ○○が口供書の雛形を持って来て、この通りに書けと言ったので見ると、「自発的に」と書いてあるので、「強制された」と抗議したが聞かず、私の書いたものを丸めて捨てた。それでまた口論し、結局、命令系統の点を除き、自発的に書いたということで○○も満足したので、やむなく署名した。 〈写真:石垣島事件の公判記録(外交史料館所蔵)〉