証言台の特攻隊長 捕虜の扱い「国際法は知らず」処刑は前にも~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#57
自分が処罰を受けるとは考えなかった
石垣島は戦況が切迫していたので、命令を受けた時、そのようなことを考える余裕が心になかった。不法な処刑に参加し、又はその直後、このことで自分が処罰を受けることがあるかも知れぬとは考えなかった。私は特攻隊にいて、戦備に一杯であったので、あの環境においてアメリカ飛行士の生命を取ることが正当であるか否かを考えている心の余裕がなかった。 〈写真:石垣島事件で殺害されたグラマン機の搭乗員たち〉
指揮官が間違ったとき、意見を述べる義務はない
翌日、1月30日金曜も、幕田大尉に対する委員会からの尋問は続いた。 <公判概要 1948年1月30日(金)> (委員会の尋問続行 幕田の答弁要旨) 石垣島警備隊では、階級の上では、私は井上乙彦司令の次であったが、職務の上では司令の次は副長で、自分は司令に直属して特攻隊のことしかやっていなかった。日本海軍では指揮官が間違ったことをしている事がわかったとき、部下の士官は意見を述べる権利はあるが、義務はないと考える。且つ命令前なら意見具申は出来るが、命令後は出来ぬ。司令の命令を執行したことの外に、命令が不法であることを司令に言わなかった点でも責任があるか否かについては、その責は無い。当時は司令に命令が間違っている事を言うというようなことについては全然考えず、言わなかったことにつき、現在は感じている。
ほかにも斬首したことがあるか
ここで、委員長から幕田大尉に「アメリカ飛行士のほかに何人斬首したことがあるか」との質問がされたのに対して、弁護人が異議を申し立てた。この議論は休憩をはさみ続いたが、結局、弁護人の異議は却下され、幕田大尉が質問に答えることになった。幕田は軍律会議を経て処刑が決まった者を斬ったことがあると答えている。 (委員会の尋問続行 幕田の答弁要旨) 軍律会議の受刑者を数名斬ったことがある。検事側提出第18号証にこの点に関して書かれているのはダイヤー調査官が「想像で書け」と強いたもので、でたらめであると答ふ。 自分の斬首したのは全部判決のあった者のみで、その中に何名が俘虜であったかは知らぬ。軍服を着ていたものはいなかったと思う。その時の自分の階級は中尉と大尉であり、自分は軍法委員には入っていなかった。ただ、命令で死刑の執行をしたのみである。 〈写真:石垣島事件の法廷 一番右端の顔が半分切れているのが幕田大尉(米国立公文書館所蔵 髙澤弘明氏提供)〉 幕田大尉は、自分の意思に反して書かれていた証拠書類については、その部分を指摘して訂正し、証人尋問を終えた。委員会には「命令で米兵の処刑執行」の事実が伝わったはずだ。しかし、死刑を免れることはできなかったー。 (エピソード58に続く) *本エピソードは第57話です。