「教育勅語」再評価も どんな内容? 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
なぜ今復活させようとの声があるのか
復活といっても文字通り戦前の位置づけに持ってこようと唱える向きはごく少数。これは近年にぎやかになった道徳教育のあり方に絡めて出てきます。教育勅語が「道徳」であったのは間違いなく、今は衰退しているので先例として見直してもいいのではないかという発想があるようです。 法と道徳の関係は法学の基本であるとともに永久に解けない難題でもあります。教育勅語に照らしていえばきょうだいが遺産相続でいがみ合うなどもってのほかですが現実には裁判所が民法など諸法令に基づいて解決してくれます。「相和し」どころか永遠の愛を誓ったのにけんかが絶えない夫婦もゴマンといるし「学問を修め」に至ってはヒヤリとする子どもどころか大人さえ多数いるでしょう。それをどこまで国が規定するのか実に難しいのです。 案外「ごもっともで立派」でもないぞという意見もあります。この部分は朱子学の大義名分論に負うところが大きく、それらを歴代天皇が常に国民に示していたかというと歴史的に疑問だし、自由権を最大にとらえれば「君の器は決まっている。器に従いなさい」という大義名分論をこけむした価値観と非難する者もいます。一方で『置かれた場所で咲きなさい』という本が皇国史観でも何でもないキリスト教徒により書かれてベストセラーになりもするのです。
--------------------------------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】