渡辺恒雄氏、横審メンバーとして貴乃花を励まし続ける 引退勧告も遠ざけた
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日午前2時、肺炎のため、都内の病院で死去した。98歳だった。 大相撲の横綱審議委員会(横審)メンバーとしての渡辺氏は、角界を俯瞰(ふかん)し、発展を願った。中でも横綱・貴乃花を励まし続けた“支援者”だった。千代の富士から初金星を奪って貴花田フィーバーを巻き起こした1991年に横審委員に就任し、引退した2003年初場所後に委員長を退いた(委員としては05年まで)。 94年秋場所で全勝優勝した大関・貴ノ花(当時)について横審の評価が割れた。2時間の議論の末、横綱昇進は見送られたが、その時の賛成論者が渡辺氏。「2場所連続優勝」という内規を変えようとまで提案して、貴ノ花を推した。このエールに翌九州場所は連続全勝Vで応え、満場一致での昇進を決めた。 01年夏場所で右膝半月板損傷を負いながら優勝して以降は連続休場。委員長として苦渋の対応を迫られた渡辺氏は「もう1場所待ちたい。来場所出ないようなことがあれば、何か考えないといけない」と言い続けて“引退勧告”を遠ざけた。父の二子山親方(元大関・初代貴ノ花)は「本当にありがたい」と漏らしていた。 02年に7場所連続全休となった際、覚悟を決めた渡辺氏は「秋場所の休場はあり得ない。横綱として進退をかけて臨むこと。土俵に上がる以上、12、13勝以上の横綱らしい相撲を取らないといけない」と奮起を促した。貴乃花はこの言葉にも応え、武蔵丸と優勝を争った(12勝3敗)。場所後、「貴乃花は角界のカリスマだ。神秘性があっていい。沈黙は金なりというけど、口の軽い僕などと違って」と高笑い。多くを語らない横綱に代わり、記者を喜ばせた。 03年に横綱引退の際は「奇跡は起こらなかった。歴史に残る名横綱として実績を残した」とねぎらった。「貴乃花の引退が日本の衰退現象のシンボルにならないことを祈る」という当時のメッセージは、どう生かされただろうか。(デジタル編集部長、元大相撲担当キャップ・酒井 隆之) ◆横綱・貴乃花が引退した2003年初場所 貴乃花は9日目まで4勝4敗1休の不振で現役引退。大関・朝青龍が2場所連続優勝を果たし、場所後に横綱昇進となった。横綱・武蔵丸は全休。武双山、栃東、千代大海、魁皇ら5大関が在位していた。
報知新聞社