江戸のマネー学 アイデアとおかねを味方につけて「にわか成金」になる方法
江戸時代、大坂の作家、井原西鶴は『日本永代蔵』で「借金の利息ほど恐ろしいものはない」と断言しています。そして、『世間胸算用』では「銀が銀儲くることばかりなり」とおかねがおかねを生み出す世相をとらえています。 おかねの借り方・貸し方。利息を敵に回す、つまりおかねを借りることほど恐ろしいものはないが、味方につける、つまり貸し方となると「にわか成金」になれると語っています。西鶴の言う、にわか成金とは、決して悪い意味ではありません。
利息がおかねを生み出すポイントは複利にあり
利息がおかねを生み出すポイントはなんといっても複利にあります。 水間寺(みずまでら)の「利生の銭」の話(『日本永代蔵』巻一「初午は乗って来る幸せ」)から見てみましょう。 1年倍返しの約束で銭を貸す水間寺は、古代から開けた地、和泉国(現在の大阪府貝塚市)にあり、天平16(744)年に開山されたといわれます。その年1文借りれば、翌年2文にして返し、100文借りれば200文返すという風習がありました。ご本尊、観音様から借りた銭なので、だれもが皆、間違いなく返済しました。 たいていは3文、5文程度を借りに来る人がほとんどでしたが、ある日、年の頃、22、3の頑強な変わった衣装を着た人が「借財一貫」と申し出て、役目の僧が貫ざしのまま(960文)渡し、その者から氏名も住所も聞きそびれ、行方知れずになってしまいました。高額ゆえに責任問題が生じたのでしょうかその後、寺は多額の貸付けはやめたそうです。 その若者は、武蔵国江戸小網町の片端、漁師相手の廻船問屋の網屋を営んでいました。掛硯(かけすずり)に「仕合丸(しあわせまる)」と書き付け、それに水間寺の銭を入れておき、漁師が出漁するときに、銭の由来を語って100文ずつ貸し付けたところ、借りた人は自然と幸運に恵まれました。その評判は遠い漁村にまでにも伝わり、借りては返す銭が次々と、1年2倍の計算で、13年目にはもとの一貫文の銭が8192貫文(複利なので2の13乗)になりました。 水間寺から借りた元銭は縁起物だと考えられていたため、年利100%であっても受け入れられ、倍々に増える「複利」の結果が得られたのです。単利ならば、1年に一貫しか増えません。13年でも13貫です。網屋は、江戸から東海道を通し馬で8192貫文の銭を運び寺に返済。水間寺では後々の語り草にと、その金で多宝塔を建立しました。