19年前の夏、新聞記者はコミケに出展した…2000年代の「オタク」とは何だったのか (福)に捧ぐ
同人誌というテーマを扱うにあたり、まずは記者の個人的な思い出から入ることをお許し願いたい。2005年の夏、私はコミックマーケットに初めてサークル参加した。文化部の同僚、福田淳(まこと)記者と2人で編集した同人誌のタイトルは「直言兄弟」。そのてんまつを福田記者が同年8月26日の読売新聞夕刊で書いた。全国紙ではかなり珍しい試みだっただろうと思う。(文化部 石田汗太)
コミケで味わった高揚感
きっかけは、2人で作った「POPカルチャー」というサブカル紙面だ。04年1月から06年3月まで月1回、オタク文化の最先端をルポ形式で紹介した。メイド喫茶やボーイズラブ、人形愛、着ぐるみコスプレなど、新聞では取り上げにくい題材ばかりに挑戦した。私も福田記者も若かった。
こういう企画をやる以上、コミケにサークル参加することは当初からの目標だった。04年夏は落ちたが、05年夏は当選した。2人だけでは作れないので、社内のオタク記者たちに声をかけ寄稿をお願いした。28ページのコピー誌が何とか完成し、8月14日の夏コミで300部を完売した。それでも印刷費、諸経費を差し引くとわずかな赤字だった。
その後も、私たちは数年間にわたり私的にサークル参加し続けた。コミケで味わった高揚感には、それほど大きなものがあった。あの気持ちは何だったのか、19年たった今もうまく説明できない。私がこの連載を始めたのは、あの体験をもう一度深く掘り下げてみたいと思ったからだ。
オタク趣味=小宇宙への没入
歌人の黒瀬珂瀾(からん)さんに富山市で再会した。現在、読売歌壇選者の黒瀬さんは「POPカルチャー」で「カラン卿の短歌魔宮」という短歌入門コラムを連載していた。アニメや漫画のキャラクターになりきって作った短歌を読者から募集し、それを批評する異色の試みだった。黒瀬さんが手本として、02~03年に放送されたアニメ「機動戦士ガンダムSEED」の世界観で詠んだ歌はこのようなものだ。
キラ、君のいる戦場へ翔(かけ)るとき永遠までに五分たりない