「托卵」を納得させた“用意周到”な構造 『わたしの宝物』がトリッキーな不倫ドラマにならなかった理由
共感できない行為も…血の通った命を吹き込んだ
今期のドラマで“喜怒哀楽”の全てが詰まっていたドラマと言えば『わたしの宝物』(フジテレビ系、FODで配信中)だろう。 【写真】抱き合う松本若菜と田中圭 夫から冷たい仕打ちを受け孤独だった妻が、夫以外の男性と不倫の末に子どもを身ごもり、あろうことかその子どもを夫の子と偽り産み育てる「托卵」というセンセーショナルなテーマを扱った今作。毎回衝撃的な展開で視聴者を翻ろうさせながらも、決して「ありえない」とは思わせない“用意周到”なドラマに仕上がっていた――。
■運命に導かれるように“悪女”に 今作は「托卵」という受け入れ難いテーマを掲げながら、視聴者がそこに思いを寄せられる…ある意味で共感させ得るだけの、導入部の“用意周到”さが見事だった。特に不倫をしてしまった後の「なぜ子どもを産む決意をしてしまうのか?」と「なぜ離婚せず夫を偽り続けるのか?」を納得させるために用意された物語が実に巧みであった。 妻は夫の冷酷な対応により、美しい思い出のままだった幼なじみと、間もなく海外へ発つという期限付きもあいまって不倫関係に陥った。しかしその後、不倫相手が異国の地で死亡するというニュースが入ることで(※後に生存していることが判明)、身ごもってしまった子どもを産む決意をした。子どもを産み育てるためには自活する必要があったのだが、その環境を夫自らが促すこと(※子どもの面倒は見ないが金は出すという申し出)によって、主人公は自然と「托卵」という手段を選ばずにはいられない。こうして、運命に導かれるように“悪女”になっていく道筋が整っていった。 この「托卵」への過程は、主人公がただ自分にわがままなだけの悪女に仕立ててもよかっただろう。しかし、用意周到な導入部があったからこそ、主人公が図らずして悪女になった…「托卵」に共感を生んだ。それにより、今作が「托卵」というテーマを用いたトリッキーな不倫ドラマとしてでなく、視聴者に“考えさせる”余地を残すリアリティーを生むことにも成功したのだ。