銅版画家・山本容子が語る「佐野洋子」とは? 『100万回生きたねこ』の著者:佐野洋子の名作絵本『ぺこぺこ』が待望の復刊!
「佐野洋子さんは『なんだかおもしろそう。私にも教えて』とやってきた“押しかけ弟子”でしたね。それが初めての出会いです」 と語るのは、日本を代表する銅版画家であり、講談社出版文化賞ブックデザイン賞など、数多く受賞されている山本容子さんです。 【中身をちら見せ!】佐野洋子さんの『ぺこぺこ』ってどんな絵本なの? ・・・・・・・・・・・・・・・ 佐野洋子さんの絵本『100万回生きたねこ』は、佐野さんが他界してから14年たっても色あせることなく、大人から子どもまで世界中の人々に愛され続けています。 そんな佐野さんの絵本『ぺこぺこ』が30年ぶりに新装版として刊行されました。 だれにでもなんにでもぺこぺことていねいにお辞儀をし、まわりをふんわりと穏やかにしてしまう不思議な王さま。銅版画にも意欲的だった佐野さんは、絵本『ぺこぺこ』を美しく楽しい銅版画として描きました。 生前の佐野さんって、どんな方だったのでしょう? 絵本『ぺこぺこ』の魅力はいったいどこに? そんな秘密を知りたくて、生前の佐野さんと交流があり、銅版画制作を教えられた銅版画家の山本容子さんに、お話を伺いました。
銅版画を学びたい、と押しかけ弟子に
――山本容子さんは、1970年代半ばに銅版画を発表されてから、第一線で活躍してこられました。佐野洋子さんとは、どのように出会われたのでしょうか? 山本容子さん(以下、山本さん):1991年に、ある出版社の編集者から「イラストレーターの沢野ひとしさんが、銅版画を習っているのですが、もう少し詳しく教えてほしいといっています」と電話がきたんです。「要点チェックかしら。どうぞどうぞ」とふたつ返事でお受けしたら、ある日、とっても大きな付録付きでやってきたんです。
付録というのは、詩人の谷川俊太郎さんが運転するスポーツカーの助手席に乗った佐野洋子さん。 アウトドア好きの沢野ひとしさんが運転するランクル(※TOYOTAのランドクルーザー)と谷川さんが運転するスポーツカーが、ガヤガヤと鎌倉のアトリエにみえたんです。第三京浜を「追っかけっこしながら来た」と言いながら。 佐野さんは「なんだかおもしろそう。私にも教えて」といった“押しかけ弟子”でしたね。それが初めての出会いです。 ――その後も何度かお会いされたのですか。 山本さん:最初はわたしのアトリエで、二度目は佐野洋子さんのアトリエで、三度目は電話で銅版画を教えたんです。佐野さんのご本をたくさん読んでいましたので、すぐにうちとけましたね。 そのころ佐野さんは谷川さんとご結婚されていたので、谷川さんを交えて食事をしたりもしました。 ――「押しかけ弟子」の佐野さんは、どんなお弟子さんぶりでしたか。 山本さん:「銅版画のヒミツを全部言いなさいよ」って迫られて。佐野さんは武蔵野美術大学デザイン科を卒業されていたので、版画の基礎はもちろんご存じでした。実際に銅版画の作業を始めると、沢野さんがぎこちなくやっているのを見て、「ちょっとどきなさいよ、私にもやらせて」というふうで。様子を見ながら反応してくるのが佐野さんらしいな、と思いました。うれしかったら「うれしい」、嫌なら「いや」と、反応するのがとても早い方でした。がまんしないのね。 翌1992年には、東京・銀座のガレリア・グラフィカが企画した「山本容子と子分たち」と題したグループ展が開催されました。親分は山本さんで、子分は和田誠さん、佐野洋子さん、沢野ひとしさんという大物ぞろい。山本さんはアポリネールの『動物詩集』、和田誠さんが『マザー・グース』、佐野洋子さんはちょっとエロティックな男女の図、沢野ひとしさんは素朴なスケッチ、と個性豊かな50点ほどの作品が展示されました。