浜一番の潜水漁師、愛する故郷の海と生きる ── 宮城県石巻市・鮎川浜
早朝6時。暁の海に、一人の男が飛び込みました。仕事場は、水面下30メートル。昇りはじめた太陽の光が、透き通った海の奥深くまで射し込み、きらきら輝きます。宮城県石巻市の牡鹿半島・鮎川浜。東日本大震災の大津波を受けた地で、男が今日も海に出ます。
漁師もアワビも一級品
成田浩幸さん(47)は、鮎川浜で数少ない潜水漁師です。ドライスーツに酸素ボンベやおもりを腰や両足に身につけます。重さは計30キロ。ひとつひとつ手で獲るアワビは、傷つきにくく、活きのよいまま水揚げします。「海は、庭だね」。口元がゆるみました。 成田さんの仕事場は、世界三大漁場として知られる金華山沖。親潮と黒潮の潮目にあたり、エサとなるワカメなど海藻が豊かです。さらに津波で、海底のヘドロや岩場にこびりついた古い海藻が入れ替わる「磯洗い」が起きました。海藻をたっぷり食べた天然アワビは、殻からこぼれんばかりに大きく育ちます。 アワビは身がしまり、刺身では磯の香りとコリコリした歯ごたえ。焼けば柔らかさの中にも弾力がしっかりあります。バター焼きやステーキ、炊き込みご飯にもおすすめです。
あの日、鮎川浜
石巻市中心部から、曲がりくねった半島の道を南にゆくこと1時間。先端にある鮎川浜は、かつて捕鯨基地として大いに賑わいました。しかし今、人影はほとんどありません。あの日、震源地に最も近かったこの地域。家の基礎部分だけ残る土地には、いまも茶色い雑草が生い茂り、津波のすさまじさと時間の経過を物語ります。 成田さんは震災当日、漁を終えて自宅へ戻ったところ、激しい揺れに襲われました。 真っ先に近所で暮らす母親のもとに駆けつけ、一緒に高台に避難しました。 「茶色の泥水がバリバリバリって音をたて、家を飲み込んでいった」。 自宅は残りましたが、船3隻と作業用倉庫、潜水に必要な装備品すべてを失いました。 それでも、浜を離れることは全く考えませんでした。2011年7月に漁を再開したとき、迷いはなかったといいます。