浜一番の潜水漁師、愛する故郷の海と生きる ── 宮城県石巻市・鮎川浜
「俺には、海しかない」
18歳で岩手県の商船専門学校を卒業し、その後2年間、捕鯨会社で捕鯨船に乗りました。20歳で父親と2人で独立し、若くして鮎川の地で自分たちの船を持ちました。「いろいろな魚を獲ったな」。30歳を過ぎて、潜水士の資格をとりました。 「人と違うことをしたかった」。 鮎川浜で当時、潜水漁師はいませんでした。潜水漁を始めてまもなく、父親が病気で亡くなりました。成田さんは一人で海に潜り続けます。「漁船の網の中に入ったり、速い潮の流れに巻き込まれたり」。九死に一生の経験も重ね、腕を磨きました。 「俺には、海しかない」。成田さんの“獲物”は、ウニ、ナマコ、ホヤ、そしてアワビです。アワビは多いときで一日500キロ獲ります。「海は実力次第。そこがいい」。 卸業者のヤマサ正栄水産代表、阿部慎也さん(39)は、「このあたりのアワビはモノがいいから、漁師の腕は量に表れる。人の2倍近く獲ってくるし、波が大荒れでも成田さんだけは潜る。職人だよ」。成田さんに寄せる信頼は絶大です。
「浜をほっとけないさ」
大震災から3年半を過ぎた鮎川浜の復興は進んでいません。漁師の数は半分以下に減ったといいます。成田さんには娘が2人いますが、漁師ではなく別の仕事をしています。妻の雪江さんは「継いでほしい気持ちはあります」と漏らします。 「浜はなんもねぇよ」という成田さんですが、故郷に変わらぬ思いを持ち続けています。「震災後、北海道にも仕事の手伝いに行ったけど、(鮎川浜を)ほっとけないさ。なんだかんだ好きだからよ」。家族のことを語るかのような温かな眼差しでした。 明日も夜明けとともに、「庭」に潜ります。 ---------- (この原稿は、11月10-16日に実施した、河北新報とヤフーなど主催のインターン事業に参加した大学生4人が、取材・執筆しました) 「記者と駆けるインターン in 石巻」A班 法政大3年 小林愁 東北大大学院修士1年 尾崎希海 法政大3年 丸山耀平 同志社大3年 梅村雅