三浦雄一郎さんが報告会 南米最高峰登頂を断念(全文2)90歳でエベレストへ
普段の三浦雄一郎さんの性格は?
高知新聞:すいません、高知新聞の【タカヤナギ 00:33:08】と申しますが、まず豪太さんにお伺いしたいんですが、先ほどのお話の一番最初に、ポイントになるのはドクターストップがあるかどうかということよりも、それを雄一郎さんが受け入れるかとかっていう、そういうことを皆さんお話しされたかと思うんですけど、普段の生活の中でお父さまっていうのは、なんか自分がこうって決めると結構、性格的に我を曲げないタイプというか、そういうこととかを感じることとかがあるってことなんでしょうかね。 三浦豪太:そうですね。今回に限ったことではなかったんですけども、実はその前のシシャパンマというところで初めて不整脈が発覚したときに、まだ治療途上の不整脈であったために、その翌年にエベレストをひかえていたものなので、もしここで何かあったらいけないと思って、とにかく、ちょっと、シシャパンマという山を一度諦めてもらうときに、かなり、そのときにも、うちの父親の場合、山頂を見たらずっとそこを見て、で、例えば2003年のエベレストのときなんか、強風でなかなか上がれないときも、一度下りてからもまた上がろうみたいな提案を出す人なので、なかなか頂上から目を離すことができないんですよね。なので、健康上の問題というのは、天候上の問題とはまったく質的に違うものなので、ここでうちの父親がなんらかの形でそのときのシシャパンマのときも、事故でも起きてしまったら終わりだと思って説得に当たるときにも、結構、大変な思いをしました。そのときの思い以上に今回の場合むしろ気力も体力も十分であるということも本人も、今、自覚しているその中で、どう三浦雄一郎を山から下ろすことができるのかということ、これはただ単純に、そうですね、言い訳であったりそういったものではなく、もう率直に本心として三浦雄一郎に当たろうというふうに思いました。 僕は副隊長として、あまり多くのことはできないんですよね。例えば山の判断であったら倉岡さん、そしてうちの父親の医療的なことに関しては大城先生と、いろんなところに結構任せきりなところがあるんですけれども、こと、三浦雄一郎を山から下ろすというこの判断、特に本人が、隊長が一番権限があるんですけれども、その権限を持つ隊長自身が健康的な問題だということなので、これは副隊長としての責任として事に当たらなきゃいけない、そのときには全て率直に言おうと、そして本心として当たったときに、うちの父親がそこで今回は断念してくれるか、してくれないかという判断を委ねようと思っていました。 高知新聞:あとすみません、ちょっと関連して。今度、雄一郎さんのほうにお伺いしたいんですが、最終的に断念をするに当たって、例えば周囲の言葉の中でなんか決め手となるような一言があったのか、それとも総合的な判断で、っていうのはどんな感じだったんでしょう。 三浦雄一郎:そうですね、決めての言葉っていうのはおかしいですけれども、大城先生のこれ以上無理だと、なんかあったらと。なんかあったらっていうのは要するに心不全が起こる可能性が非常に高いと。さらに豪太がやっぱりどうしても一緒に下りようと非常にきつい説得、僕は15分から30分ぐらいまで、もう少しチャンスをもらえないかと、しばらく沈黙を続けていましたけれども、これが動かないし、ということで、ああそれじゃあ次があるんだということで切り替えました。ということであっさり受け入れ、あっさりでもない、15分間の沈黙ののちに受け入れたということ。 もっとも、大城先生からドクターストップを受けたのはこれだけじゃなくて、前に80歳でエベレスト、75歳? 80歳でエベレストを登るときに、その前の年に、【******ピーク 00:38:09】っていうところに登ってきました。そのときに、5200メーターでやっぱり心臓が非常に不整脈がひどくなって、自分自身でも、もう今回は上がれないというような状態で、これを見てやっぱり大城先生、ドクターストップかけていただきました。このときはもう当然だし、そのとおりだということで引き返して、心臓の手術、5度目ですけれども受けて、そして、もう1回、6度目の手術で、80歳でエベレスト、これに運良く成功したわけです。ということで、ドクターストップは今回だけじゃなくて、前に一度、そういう意味では5200メーターという、受けていたわけですから、今回のドクターストップ、それよりずっと本当は楽だったわけですけれども、余裕を持って受け入れようというような感じでまいりました。 高知新聞:ありがとうございます。 司会:はい、どうぞ。