カメラの先にはALSの女性 地域新聞の編集長が映像で伝える闘病家族の思い、原点はがんになった父との別れ #令和の親 #令和の子
創刊から間もなく半世紀を迎える大阪市鶴見区の地域新聞の編集長吉村大作さん(44)は、ペンではなくカメラを手に取っていた。レンズの先には、体が徐々に動かせなくなる難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を患った女性とその家族。吉村さんは闘病期の家族の大切な時間を映像に残したいと、今夏から新たな挑戦を始めた。その思いの原点は、16年前に母から突然届いた一通のメールにあった。(共同通信=後藤直明)
▽突然のがん診断
2008年の年明けごろ。吉村さんが仕事帰りに携帯電話を開くと母からメールが届いていた。「お父さんががんになりました」。当時67歳だった父捷則さんの腎盂がんが進行しており、余命も残り短いという診断だった。
吉村さんは言葉を失うと同時に気まずさも感じた。父とは思春期の頃から折り合いが悪かったことに加え、当時は故郷の大阪市を離れて福岡県で会社員として働いていたことから、10年以上まともに口をきいていなかったからだ。 けんかのきっかけすら思い出せないが、高校受験を控えた中学生の時には「勉強しろ」と言われただけで腹が立った。和解するタイミングを逃したまま、気付けば28歳になっていた。 メールを読んだ後、父のいろんな姿が思い浮かんだ。酔った勢いで仲直りのハグをしようとしてきた姿。大学卒業後に就職して千葉県への配属が決まった際、新大阪駅まで送ってくれた車で寂しそうにハンドルを握る姿。不器用だけど愛情にあふれていた。「おやじがいなくなったら嫌だ」。そんな思いで自然と頭がいっぱいになっていた。
その年の5月の大型連休。帰省して大阪市の実家に着くと、大柄だったはずの父は痩せ、一回り小さく見えた。がんが体をむしばんでいると、吉村さんはいや応なしに思い知った。 帰省を終えて福岡に戻る日に、父に感謝を伝えようと決心していた。新大阪駅に着くと、構内に続く階段の手すりから縦13メートル、横2メートルの垂れ幕をつるした。そこには黒色のビニールテープを貼り付けてメッセージを書いていた。「おやじの子で良かった」