カメラの先にはALSの女性 地域新聞の編集長が映像で伝える闘病家族の思い、原点はがんになった父との別れ #令和の親 #令和の子
普段だったら言えない言葉をしたためた手紙も読み上げた。「子どもの頃によく作ってくれたオムライスやチャーハンの米粒、一緒にしたキャッチボールの球、叱る言葉の一言にさえも愛情が詰まっていた」「俺はお父さんが好きだ」。気付いたら泣きながら抱き合っていた。4カ月後、父は天国へ旅立った。
▽1000号の地域新聞
父は大阪市鶴見区の地域新聞「ローカル通信」の編集長をしていた。地域に役立つ情報を届けたいと1975年の創刊以来、月1~2回のペースで新聞の折り込みとして無料配布。府議選の鶴見区の選挙情勢から商業施設の開店・閉店情報など、さまざまな記事を載せ続けた。がんが分かってからも休載しなかった。 吉村さんは2008年9月に仕事を辞め、実家に戻っていた。大病を患ってでも続けたいという父の執念を目の当たりにして、地域新聞を終わらせてはいけないと感じ、父の入院後に2代目の編集長に就いた。それから16年間、悪戦苦闘しながらも新聞を出し続けた。
そして遂に今年8月15日配布の新聞で1000号に到達。もしあの時、感謝を言わずに仲が悪いままだったら地域新聞も引き継がず、1000号という大台まで到達することはなかった。今年に入ってから父との時間をよく振り返るようになった。 父に心からの言葉を届けた経験が自分の人生を確実に変えた。そう考えるうちに、アイデアが浮かんだ。「闘病中の家族同士が思いを伝え合うことをサポートする事業を始めたい」。その様子を動画にして公開するユーチューブチャンネル「ほっとTV~闘病家族、心の物語~」は、こうした経緯で始まった。広く知ってもらいたいのは「言葉で伝えることの大切さ」だ。 第1弾として撮影が決まったのが、闘病記をブログなどで発信していたALS患者の女性、みみりんさん(29)=仮名=と、その家族だった。
▽動かないサイドブレーキ
2022年初めごろ、みみりんさんは車を運転しようとサイドブレーキを引いたが、左手に力が入らず動かすことができなかった。これが最初に覚えた違和感だった。近所の整形外科で検査をしたが原因は分からないまま。やがて右手も力が入りづらくなり、水を飲み込む時にむせることが増えた。 2023年8月、大学病院でALSと診断された時はほっとした気持ちが強かった。何の病気か分からず暗いトンネルをさまよっていた時が一番つらかったからだ。 不安に襲われることもある。それでも20代という若い自分がALSを発症したのは何か意味があるのではと考えるようになった。「同じ病気の人が見て自分も頑張ろうって思ってほしいし、難病の人にもちゃんと日常があって、つらいだけの人生ではないんだよと伝えたかった」。吉村さんが回すカメラの前で、みみりんさんは涙をこらえながら発症からの経緯や、企画に参加した理由を語り続けた。 吉村さんはインタビューのほか、みみりんさんの胃ろうに夫(33)が栄養剤を注入する様子や、訪問介護のヘルパーから歯磨きなどの介助を受ける様子も撮影した。長女(4)とシャボン玉で遊ぶ姿や、大好物のサーティワンのアイスクリームを食べる時間もカメラに収めた。