「限られた環境しか経験できてない」佳子さまが会見で語った少女期からの“葛藤”
佳子さまと記者の問答
佳子さまは前述の記者会見でこんなやりとりもしている。記者から「学習院の質問の中で限られた一つの環境だと感じることがあったということをおっしゃっていましたが、これはもうちょっとどういうことかお話しいただければありがたいのですが」と、尋ねられ、次のように答えた。 「例えば、私と同じように幼稚園から大学までずっと学習院に通っている方もいらっしゃいますし、そうするとなかなか新しい方と出会う機会もありません。そういうことも含め、同じ学校にいると、やはり限られた環境だなと感じることがございます」 さらに、別の記者から、「皇族としてですね、ご自身が他の方とは違う、同じ学習院の環境の中におられて、ちょっと私は違う立場にいるんだ、ということをご自覚になったのはいつごろからでございましょうか」と質問されると、 「これといったきっかけはなかったように思いますが、小学生のころからだったと思います」 「何年。高学年」(記者) 「低学年だと思います」 こうした佳子さまの一連の発言は、内親王が抱える本質的な課題を突いたものだと、私は考えている。外出すれば、彼女の動静は常にマスコミなどから監視される。どこに行くのにも警備担当者がつく。コンビニエンスストアにふらっと買い物に出かけることも難しい。日々の生活は、一般の29歳の女性に比べて、大きな制約を受けている。かなり窮屈な日常なのだ。
皇室に生まれ育った不自由さ
佳子さまには選挙権がない。これまで、一度も東京都知事選挙や国政選挙などの投票をしたことがない。憲法が国民に保障している職業選択の自由もない。こう考えてみると、彼女はこの29年間、皇族に生まれたことの不自由さや息苦しさを感じながら生きてきたのではないのかと考えたくなる。 この会見でも、自分は他の友達とは違う存在なのだ、と学習院初等科の低学年で気がついたと明言している。以前、秋篠宮さまは私にこのように話したことがある。 「どこに行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったことはあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら10人中10人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから、そういうふうに思ったことはあります」(拙著『秋篠宮さま』より) 不自由さは、皇室に生まれ育った内親王の宿命であると受け止めつつも、普段から感じている自由への憧れや自分の人生を自分の思いどおりに生きてみたい、という佳子さまのまっすぐな気持ちと希望が、大学進学という人生の一つの大きな節目で、抑えきることができず、ほとばしってしまったのではなかろうか。大所高所から見て、そう思う。 佳子さまは、内親王であることの自覚と誇りを常に持っている。一方、皇族である前に一人の人間である。29歳の普通の女性として自分を見てもらいたい、国民にもそう接してもらいたいという願いも、佳子さまの心の中で渦巻いているのではないのか。 そんな葛藤を抱えた佳子さまに寄り添い、彼女のことを深く知る努力が、私たちにより必要とされているのかもしれない。 <文/江森敬治> えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など