「二度手間すぎ…」結局、いるの?いらないの?専門家に聞く「電子帳簿保存法」での《ハンコ》の現在地
ならばなぜ、一般の会社では脱ハンコが進まないのか。 「日本では明治政府が成立して以降、行政だけではなく国民生活にもハンコの使用を浸透させてきたといういきさつがあります。百何十年ものあいだ定着していたものを突然不要と言われても、これは国民にとっては結構な衝撃であったに違いありません」 役所は「廃止です」の一方通行でOKだが、会社には取引先というものがある。こちらがハンコを廃止しても、受け取る側に温度差があればトラブルの元となる。 実際、押印のない書類をPDFで送った場合、「これは正規のもの? それともサンプルで、あとから本物が来るの?」となったり、「やっぱりハンコをくれというから、もうプリントアウトしちゃいましょう」となるケースは多いようだ。企業文化の慣行として「ハンコは押してあるもの」という根強い認識があるため、なかなかひと筋縄ではいかない状況が続いている。 ◆「稟議書」のハンコは日本の民主主義の象徴? たかがハンコ、されどハンコ。どんなに電子化が進んでもハンコがなくならないのは、企業文化の慣例だけではなく、道具としての必要性も未だに大きく担っているから、ともいえる。 「日本には『稟議』という独特の決裁の仕方がありますが、これにはハンコがつきものでした。 企業が合理化、効率化を図る場合、なるべくそういうものは無いほうがいいに決まっています。でも社内で不正がまかり通っては困るので、何かのけじめをつけるときに、ハンコは大切な線引きのひとつだったんだろうと思います。 下から積み上げるという、いわば民主主義のひとつの方法として、実はハンコは武器なのかもしれません。 決裁を省略することについては『トップが決めればパッと動くような組織でいいのか』という議論もあります。今後、ペーパーレスが進むうえで稟議が不要になるのかというのは微妙ですよね。必ず代わるものが出てこなければならないので」 なるほど……。わかった! ひとまず脱ハンコを進めるとして、「これ押印がないけどいいんですか?」といった取引先との温度差をなくすためには、関係各所にハンコ廃止宣言を送りつけるのが手っ取り早そうだ。で、その宣言をしたい旨を稟議書で社内に回し、下から上へきっちりハンコを積み上げればよいのでは? ダメ?