加藤一二三が教える「将棋」と「囲碁」の決定的な違い
加藤 ええ。でも、NHKの将棋番組では、戦いが終わった後、2人がしゃべっているところが映りますが、表情を見ただけではどっちが勝ったかわかりません。スポーツの試合と違って、ガッツポーズなどないですし、始めから見ていた人はどちらが勝ったかわかっていますが、感想戦だけ途中から見た場合はわかりにくいですよ。だから僕はときどき「こちらが勝ちました」ということを画面にわかりやすく出したほうがいいと思っている。 茂木 それぐらい勝っても負けても態度が変わらない。 加藤 自制しているところもあるでしょうね。 茂木 現実世界の中でも感想戦のようなものがあれば、争いごとも減りそうですね。相撲もそうです。勝っても負けても喜怒哀楽は表さず、最後の弓取り式で、勝った力士の代わりに弓取り式の力士が喜びを表すんです。日本独特の美意識を感じますね。 あと、将棋の感想戦というのは、勝った負けたをメタ認知に至らしめる貴重な機会なんだと思います。 ● 大一番で引き出される “人間の潜在能力”が感動を呼ぶ 茂木 スポーツを見ていてすばらしいと感じるのは、やっぱり大きな試合の決勝戦や、メダルがかかったときの大一番です。それがあるから人間のポテンシャルのもっとも深いところが引き出される。その、勝負がかかったときに引き出される人間の潜在能力を見て、みんな感動するんだと思うんです。
WBCの決勝戦で、最後に大谷翔平選手がトラウト選手から三振をとった瞬間、帽子とグラブを投げたのって、本当に惚れ惚れしましたけど、あれはやっぱり国を背負って戦ったからこそ出てきたパフォーマンスだと思うんです。 でも最近は、かけっこでも全員手をつないでゴールするとか、絵本は、鬼退治はしないで鬼と仲直りして終わるとか、勝負や争いごとを極端に回避するような教育になっている。教育現場から勝負の厳しさが排除されているとすると、子どもたちの潜在能力を最大限に引き出す機会が失われるということだから、それは罪なことかもしれない。 インターナショナルスクールの教育などを見ると、たとえば演劇教育で『シンデレラ』をやるとなったら、ガチでオーディションをやるわけです。そうするとシンデレラをやりたくて、子どもたちは本当にいっしょうけんめい準備し、努力してくるんですよ。必死でがんばったとき、潜在能力が引き出されるし、ぎりぎりのところで戦っているから美しいんですよ。 もちろん選ばれるのはひとりだから、落ちた子たちは涙を流すんだけれど、それを通して、勝負のあやを学ぶというか、努力しても負けることがあるんだと学ぶことは大事だと思いますね。
加藤一二三/茂木健一郎